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「ファミコンバカ」と呼ばれた5歳児は今でもゲームをしている (7)

前回はこちら ⇒ https://note.com/you1293/n/n78950f8c0baf
まとめ ⇒ https://note.com/you1293/m/mf3a3e862c18b

ゲーマーなら誰しもが、いくつか「人生を変えたゲーム」を持っている。

今まで知らなかった世界が、急に目の前にぱっと広がり、
その中に主人公として突然放り出される瞬間。

時には世界を救う勇者として、時には赤い帽子をかぶった少年として、
時には俺より強い奴に会いに行く格闘家として。

そして「ファミコンバカ」と呼ばれた幼稚園児はその瞬間、経験したことのない、大冒険の世界に、配管工のヒゲオヤジとして降り立った。


これまでの世界では、だいたい1画面の中でキャラクターが動き回る。
目で見える範囲が世界そのもの。

ブラウン管の中に四角く囲まれたその世界で、僕らは一喜一憂していた。

画面の右端から外に出ると、左端から登場する。
今考えると不自然極まりないが、この表現が世界を囲まれた世界からの広がりを感じさせてくれていた。

けれど、今目の前にある世界には地面があり、木があり、空があり、雲があった。

そこを縦横無尽に走り回るマリオ。

走れば走るほど、目の前の光がどんどん広がっていく。

どのボタンを押しても、楽しい。気持ちいい。

キノコを食べたマリオは、本当に大きく見え、まさに「スーパー」だった。

ハルオの家で冒険したあと、家までの道。
僕は何度もジャンプしながら帰ったのを覚えている。


地上に。

地下に。

海に。

空に。


このCMのナレーションは、今でもあのとき感じた気持ちを思い出させてくれる。

これがテレビで流れるたびに、父親に買ってくれとせがみ、その年のクリスマス、ついに世界がウチにやってきた。

この「スーパーマリオブラザーズ」がなかったら、僕は今もうゲームをやっていないかもしれない。
そのくらい、こいつが与えてくれた世界は広く、衝撃的だった。

そして、このゲームでの思い出は、今でも親戚同士の集まりになると母親が笑い話として語ることになるのだが、それはまた次の機会に。



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あれから35年経った今でも、その広い広い世界が詰まった山吹色の小さな箱は、僕の家の奥に眠っている。

(つづきます)

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