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「勝ち」の「価値」

勝利は手段である

五郎丸さんのお話で一番心に残ったことは「勝利は手段である」ということ。最初から一貫して、「勝利の先に【歴史を変える】という目標があった」こと、「勝ちのみを目指す組織に先はない」とおっしゃっていたのに非常に共感できた。

スポーツは感情表現の媒体

私自身の仮説として、「スポーツの試合は感情表現の媒体(手段)である」というものがある。人の内面にあるもの、例えば感動や美学や哲学を表現する場であると。つまり、ゲームの勝ち負けはその過程の1つに過ぎず、本来の目的ではないのだ。


勝ちの功罪

私は10年以上サッカーをプレーし指導をしてきた。その中で、内容が良くない、楽しくプレーできていないのに、試合に勝ててしまうことがある。その際、どこか納得できていないのにもかかわらず、勝てたことのみにフォーカスしてしまう。自分たちの美学を貫くこと、チームの哲学を体現すること、自分の感情を表現することができなくても、勝利はそれをごまかしてしまう。皮肉にも勝ち負けが存在する世界において、勝利が一番人間の目を曇らせると感じた。大切なものではなく、目先の一勝に一喜一憂してしまう。

勝利至上の行きつく先

この状態はつまり「勝利が目的」となっている。だから空虚で、そこを追い求めた先には何も残らないと私は感じてしまう。行き過ぎた資本主義が批判されるのと同じ道理だ。目先の快楽のために、自然を侵し、大量に生産・消費し、結果的にまた自然を侵す。これは勝利だけを求めることと同じで、人の心をないがしろにし、体を消費し、また同じループにはまっていく。何が残るのだろうか。何も残らない。



歴史を変える

だから、その先の目標・チーム哲学・美学が絶対に必要なのだ。ラグビー日本代表でいえば、「歴史を変える」「ONE TEAM」。決して目に見える答えは出ないけど、同じ場所に向かっていけばいつか目に見えないものを感じ取れる瞬間が来る。何度見ても南アフリカ戦の逆転はそれを思い出させてくれる。南アフリカに勝つだけじゃないのだ。歴史を変える。その想いが選手とスタッフから溢れ出て、観客、映像の先の人の心を動かしたのだ。あの日ブライトンを包んだ熱狂は人種や性別、年齢など人為的な分類を飛び越えていた。間違いなく世界の歴史を変えた瞬間だった。

スポーツが持つもの

やっぱりスポーツは「感情表現の媒体」なのだ。夢と希望、感動のすべてを与えてくれる。そして、それを自由に表現できる。勝利の先に何があるか。その先の明確な想いを、五郎丸さんが持っていたことを知れてとにかくうれしかった。素敵なお話ありがとうございました。


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