いのちをだいじに
自分を大切にしたい
僕はとても自己肯定感が低い。なので、他人からの評価=自分の価値になってしまっている。だからこそ、他人の役に立とうとしてしまう。他人の役に立てなくなると自分の存在価値を疑う。
これは少年時代の母との死別、そして始まった父からの虐待のせいで植え付けられた価値観だ。僕は大学で教職課程を履修し、その際に機能不全家族やアダルトチルドレンという概念を知った。その頃は自分がそれに当てはまる部分がある、という程度にしか捉えてなかった。
そういう風に捉えていたのは、自分を偽っていたからにすぎない。父親に虐待されていた可哀想な自分を認めたくなくて、他人から見るとそんな家庭で育ったが父からの愛情を分かっている自分を演じていた。
いい子ぶっていた。
去年の夏に僕は親戚たちと再会し、過去の自分がどんなに彼から見ると悲惨な生活をしていたのか。また、当時の僕の行動がどれほどおかしかったかを教えてもらった。
ここで僕は自分の記憶がかなり修正されていたことを知った。
長らくの間、僕は母の生命保険金目当ての親戚から引き取られそうになっていたと勘違いしていた。
違った。
再婚の際に父が僕を捨てようとしていた。
そして、僕はなぜか父を「最愛の妻を亡くしたのだから仕方ない」と父を非難する親戚たちに刃向かっていた。
訳がわからない。
この件は父、再婚相手、親戚、僕の全員が痛み分けのように終わっている。僕はその時から人間不信になり、自分の本音や秘密を決して他人に明かせなくなった。他人との関係性を全て取引のように扱ってしまうようになったのだ。
僕はそんな自分が醜くて嫌だった。
そして、自殺をしようとした。
生き残った。
父と兄はそんな僕の心にとどめをさした。
母が亡くなるまで、僕はとても明るくて思いやりがあり他人としっかりと話し合える少年だった。母の死後、周りに対してこの上なく劣等感を持つ卑屈な少年になった。ただ、表向きはかつての明るい自分を演じた。
そんな中で一人だけ親友がいた。彼に辛さを話した。せめて、彼にだけは知って欲しかった。
「そんな話するなよ」
明確な拒絶。
「そんな事言われる俺の身になれよ」
以来、僕は同年代に本音を言えなくなった。
「俺の気を害したら今すぐ学費は打ち止める」
「俺はスポンサーだ。俺の気を損ねるな」
「俺の仕事を邪魔をするな」
「俺は父親失格だ」
「お前は金がかかる」
「そんなに病院に通って当てつけか?」
「お前の人生だ。お前が全部好きに決めろ」
そんなことを良く言われた。
ある日に「お母さんが生きてたらなぁ」と僕はどうしようもなくなってつぶやいた。それを聞いた兄が泣き出して何処かに行った。
俺は家族の前で弱音を言えなくなった。
兄には「お前の目つきが気に食わない」と、父には「お前の顔はおかしい」と言われた。そして、兄から暴力があった。
僕の顔は左右でかなり違う。それがこの上なくコンプレックスで人の顔を見れなくなった。目つきを正面から見られると顔のことがバレる。
僕は人と目を合わせなくなった。そうなると人の感情が読めないのでオドオドするかやけに虚勢を張るしかなくなった。
こういう話を精神科の先生に言ったら「働けなくなったらまた来い」「父親への反発、そりゃ結構」とか言われて終わった。
それでも、楽になりたい。
自分なりに色々と調べた。
その中で「自分を大切にする」という話に何度もぶち当たった。
「偽りの自分」と「本当の自分」というものがあるらしい。仕事中は誰もが偽りの自分であり、家でリラックスした時に本当の自分が出る。端的に言うとそんな話だ。
ただ、子供の頃から追い詰められた子供は偽りの自分をずっと続けることになるらしい。親が病気だから。親がアル中で機嫌を取らないといけないから。学校でいじめられたから自分の振る舞いを変えないといけなくなったから。
そんなシチュエーションがあるらしい。
僕は思い当たった。
確かに家族から攻撃されないように、家族の邪魔にならないようにいい子をずっとしてたなぁと。
そんな歪みは本当の自分から様々なサインとして出るらしい。怒りや恨み、自律神経の乱れなどで。
ああ、確かに僕は10代の頃は自律神経失調症で胃がおかしかった。ひどい時は固形物が摂れなくて20キロも体重が落ちた。
僕は「本当の自分」を考えた。
好きなことに打ち込んでいる時、本当の自分は顔を出すらしい。
僕は人と話している時に狂騒的だ。今までのnoteを見てもわかる。オーバーな感情表現、笑いを意図した語彙。自分がすごい人間であるかに見せるための虚飾。
これは僕が対人においてイニシアチブを握るために行なっていることだった。
「僕は歳の割に子供っぽいところがあって素直なんだ。けど、話は面白いし、意外とたくさん勉強していていろんなことを知ってるんだ。役に立つよ。だから、僕に興味を持って」
汚い、目的意識から逆算した偽りの自分だ。
本当の自分を考え直した時。
本当に好きな女の子と過ごした時間を思い出した。彼女のことは今でも大好きだ。フラれたが。
僕はそこまで狂騒的に話していなかった。
彼女の話を聞くのが好きだった。彼女の笑顔を見るのが好きで聴き手として会話を回していた。
僕の笑い声は普段は大きい。過剰な笑い方をしている。口を開けて、目を細める。
彼女と笑う時は口は開けないで目を開いていた。普段より圧倒的に静かに笑い、静かに話した。
一人で何か集中してる時もそうだ。僕は目を開けて、静けさの中になるべくいようとしている。自分の内面や打算から離れて純然たる目的のために行動する。人に好かれるためでなく、好奇心を満たしたくて勉強している。
このことは最近になって気づいた。
僕は去年から様々なことがあり、今はかなり追い詰められている。職場でパワハラを受けて感情が制御できなくなった。二度と関わらないように家族から距離を取った。多くの友達と喧嘩するようになり、多くの関係が途切れた。
ここまで他人に嫌われているんだ。何か「僕」に重大な欠陥があるに違いない、と。
今。アパートの一室でイヤホンをつけてクラシックを聴きながらこれを書いている。物音や外の車の音を気にしないためだ。
集中していたからか、壊れている顎に普段のような過緊張がない。僕の壊された顎はズレている部分のリンパが腫れやすい。そのせいで痛みや浮腫みが出やすい。顔を取り繕えば取り繕ろう程に苦しくなる。
だからこそ思う。
僕は「楽しそうに騒ぐ人間」でなく「静かに考えている人間」なのだと。
子供の頃は確かに前者だったのだろう。ただ、思春期において変わった。この性格の変化は一般的なものであり特別なことではない。僕はその頃に他人に恐れていたから、愛される人間のモデルとして愛されていた頃の自分を用いていたに過ぎない。
様々な依存症や退廃的な生活の末に僕は本当に数多のものを失った。
そして、自分の心になんとか辿り着けた。
衆目に晒す内容ではないのかもしれない。けれども、僕のように苦しんでいる方の一助になれば嬉しい。月並みだが、アダルトチルドレンや機能不全家族に悩む人は決して少数ではないからだ。
僕は自分が「かわいそうな人間」であることを認めたくなくて都合の良い妄想を過去に組み込んだ。歪んだ思い出が僕の性格を歪め、他人との不和を産んだ。限界点を超えて僕と他人の関係性は弾けた。
どうか、今苦しむ貴方が僕と同じ轍を踏まないことを祈らせていただき、この話を締めます。
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