見出し画像

#026 踏切珍道中with悪運

※昨夜に書いたものです。

多分今日の私は世界で一番運が悪い男だったと思っています。どうも、四野葉です。というのも、今日午後特に用事がなかったので私が好きなモノの一つである踏切巡りに行ったんです。これまでも行こうとはしていましたが雪の影響で自転車に乗れずにいて、春休みに入ってやっと自転車が解禁されたので早速行こうということで行ってきました。
目標はとある駅のすぐ隣にある少し長い踏切でした。その駅は車で12分くらいで着きます。私が家を出たのは14:45で駅から電車が発車するのは15:03です。私は愚かな人間ですので、「本気でこげばなんとかなるのでは?」と思っていました。

無理でした。まぁ、今思えば無謀でしたよね。思い込みは恐ろしいものです。ほとんど止まらず全力で自転車をこいで、こいで、こいで、見えてきました。黄色と黒のその姿が。私は興奮していました。まだ時間に間に合っていると思っていたのです。踏切は音と光を放っていませんでした。急いで持ってきたカメラを回し、その時を待ち構えていました。
しかし、踏切は鳴りません。もう少しで来るのだろう。そう思っていました。すると、どこか遠くで踏切の音が聞こえました。うっすらと。
「これは、もう少しで来るのでは!?」と興奮と体温の上昇を感じていました。しかし、いつまでたっても踏切は鳴りません。少々、嫌な予感を感じました。もう、発車していたんじゃないか?と。そう思った矢先、先ほどまで聞こえていた微かな踏切の音が聞こえなくなりました。どんどん、嫌な方向へと脳みそが転落していくのを覚えました。
「もう、通過したんじゃないか?」
そう思ったころには、もう遅かったです。ケータイの時刻を見ると、13:05を表示していました。
私は確信しました。もう、電車は言ってしまった。と。

これまで、必死にペダルをこいできた体のエネルギーはどうすればいいのか。ただ、どぶに捨てただけになってしまうのか。

仕方なく私はあきらめ、駅の時刻表を見に行きました。
絶望しました。
次の発車は16:20と16:21でした。さすが地方都市の鉄道です。そう。田舎の鉄道およびその他公共交通機関は基本的に一時間に一本しか来ないのです。これは田舎は車社会だからです。田舎の人の移動手段は車です。なので、公共交通機関は発達していないのです。

一時間も空き時間がうまれてしまったので仕方なく周辺をチャリチャリこいでいました。

そして、時刻は15:50。まもなく電車が来ます。そこでは私は考えます。
どこの踏切で見ようかと。
候補の一つは先ほど見れなかった駅の隣の踏切。
もう一つは、私の人生のいつもそばにいた踏切とのかかわりの原点ともいえる踏切。その踏切は、私が幼稚園が終わった後、よく訪れていた思い入れのある踏切です。私からしたら第二の家といっても過言ではないくらいです。その踏切は田んぼのど真ん中にある小さな踏切で、妙な存在感を放っています。

私は決めました。その田んぼのど真ん中踏切に行こうと。第二の家に帰ろうと。
田んぼをまっすぐに貫く農道をのんびりと漕いでいきます。ドラマの世界に迷い込んだような、そんな感覚を味わっていました。

その踏切に着きました。それより、帰ってきました。空の青さが踏切の黒と黄によく映えていました。時刻は16:10。あと10分ほどです。自転車を傍に止め、その姿をカメラに収めていきます。
すると、一人の老男性が歩いてきました。私は踏切を愛でているときは絶対人が近くにいてほしくないのです。仮に来たらその人から距離を置きたくなります。なので、私はその老男性から距離を取るべく、自転車にまたがり、踏切から距離を取りました。すると、

「カンカンカンカン」

踏切の音が聞こえました。すぐさま振り返ると、赤い閃光が灯り、安心感のある踏切の音が警報機から放たれているではありませんか。私はすぐさま自転車を止め、踏切に近づき、カメラを急いで回しました。踏切ではさっきの老男性が踏切が開くのを待っていました。私は老男性の近くまでは行けず、遠いところから踏切を撮っていました。しかし、今日は快晴。雲一つない青空です。逆光で警報機は真っ黒です。逆光に恨みを持った瞬間だったかもしれません。
やがて、電車が踏切を通過し、踏切は鳴りやみました。私の活力の鼓動も鳴りやみました。
その電車は先ほどの駅に向かう電車でした。実はその1分後に反対方向からの電車が発車するのです。
それを狙おうと、数少ない気力を振り絞り、目標を立てました。
暫くすると、自転車をこいでいる青年がこちらに向かってきました。先ほどの老男性と同じような状況です。
私はその青年が通り過ぎるのをじっと待っていました。青年と私は近いようで、遠いような、そんな距離でした。
そして青年が颯爽と私の後ろを通り過ぎると、私は警報機とにらめっこしていました。いつ、なるのかと。まさか、もうならないんじゃないか、と。
なぜ、もうならないんじゃないかと思ったのかというと、少し離れたところにあった信号機が赤色だったからです。普通だったら来るちょっと前には青色に変わるのではないかと思い込んでいました。
少し待ってもならなかったため、今日はもうあきらめ、家に帰ることにしました。「少し名残惜しいけどまぁ、しょうがない!」と心に決め、踏切に「また来るね」「この後カンカン鳴らすんじゃないぞ」と告げ、前輪を家路に向け、発進しました。もう、脚はボロボロです。ギアを1にしないと、こげないくらいに疲弊していました。そして、段々と踏切から離れていきます。そして、ふと後ろを振り返り、踏切の様子を見ました。

今日、最大の絶望です。
ちょうど、電車が踏切を通過していたのです。

その瞬間私は絶望のどん底に突き落とされたような感覚になりました。別れる直前、「この後カンカン鳴らすんじゃないぞ」と約束したはずなのに…
今更カメラを構えようともしませんでした。ただ、電車が通過するのを見ていました。

私と踏切の距離が遠ざかっていくのと同時に、気力も私から遠ざかっていきました。

とまあ、こんな感じです。結局この踏切巡りで何が悪かったかというと、「思い込み」に尽きると思うんです。
「なんとかなるだろう」「多分まだだろう」
そんな思い込みが今回の踏切巡りを失敗させたのかなと考えています。
また暇ができたらリベンジに行こうかと思います。
長文になってしまいました。
ではまた後日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?