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#032 疲労困憊

どうも。動画の効果音が少ないほうが個人的に好きな四野葉です。今日は4月の10日です。新学期になって私は3日目となりました。貴方様はいかがお過ごしでしょうか。私は疲労困憊といったところです。僅か3日しか行ってないのに2週間休みなしで学校に行ったような疲れ具合です。ちょっと俯いたらすぐ眠りにつきそうです。ですが私には宿題という忌々しい呪物とでもいいましょうか、そのような物があります。宿題を発明した人はいったい誰なのでしょうか。全児童、生徒がその人を恨んでいると思います。勿論私もその一人です。ふと思ったのですが、いろんなひとのnoteの記事を見てると大体の人は2行くらい書いたら1行開けるというように書いていました。多分見やすさを重視しているからかなって考えてます。ではここで私のこれまでの記事を振り返ってみます。う~んこれはクソ。どれもこれも小説とか論文みたいに特になんの配慮もなっていないような書き方です。でも私は構いません。誰かに見てほしいとかは特に思っておりませんので。それは置いておいて、宿題って基本的に意味がないと私は思っています。宿題は基本的に先生から与えられる、つまり生徒の視点からしたら受動的になっているわけです。誰かに言われてやっている勉強ほど意味がないものはないと私は思っています。なのでいかに自分から、言い方を変えればいかに能動的になれるかが大事なのかなって思ってます。理想はいくらでも語れますが現実はそうはいきません。そんなのできるわけがありません。少し理想が高すぎたのかもわかりません。頭が悪いほど理想を高く持つ傾向があったりなかったりします。理想が私たちの見方をしてくれるときはあるのでしょうか。敵になることが多すぎて数少ない見方をしてくれた時を覚えていないだけなのでしょうか。少なくとも現実とは敵対することがほとんどだと思います。辛いですね。

疲れたって記事を書こうとしたら理想と現実についての話になってしまいました。まあいいでしょう。昨日部活中に気づいたことがあります。疲れがかなり溜まっているときに頑張ろうとすると本当に辛くなるということです。私は新学期に入ってからクラスでぼっちに片足を突っ込んでいるような感じでさらに執行部に入っていて仕事もいろいろあり、いろんな疲れをため込んでいる状況でした。そしていつも通り部活をしていたわけですが、どうにもやる気が出ない。これ以上体を動かしたくない。休みたい。辛い。いろんな悪しき感情が私の脳みそを支配し気づいたら鬱みたいな感じになっていました。
つまり、頑張りすぎは体に毒ということです。貴方様も頑張りすぎてはいないでしょうか。休暇はとても大事だと思います。今日はもう休みましょう。いつも頑張っているという人は特にサボるというのもとても大事だと思います。常にサボっている人は、まぁ、もうちょい頑張りましょう。

ぼっち。それすなわち、学校で生きていけないということです。学校は集団行動をする場所です。そこで一人になってしまうともう終わりです。そして私はその状況になりかけています。よく話していた友人がほぼ隣のクラスに行ってしまいました。今何気なく話そうと思えるのは3人くらいでしょうか。十分といえば十分と思うかもしれません。授業中とか移動教室などならまだいいです。問題は休み時間です。この時間は完全にぼっちです。私の数少ないクラスメイトも私以外の人とも話したいでしょうから休み時間の私はひとりとなっています。しかしこれをどうかしたいとは思わないわけです。少し、安心をしているのでしょうか。いや、わかりません。自分の感情を理解するのは難しいです。
周りに誰もいない中でのひとりは辛くはないのですが、周りに人がたくさんいる中のひとりはとても辛いものです。

というわけで書きたいことは大体書きました。なんかめんどくさくなってきたので今日の宿題はサボろうかなと思います。少しだけならいいはずです。そして今日はゆっくりしたいと思います。そして明日、また憂鬱な日々が続いていきます。適度にサボりながらなんとか生死の境でさまよい、踊り狂おうと思います。
最後まで読んできたいただきありがとうございました。誰かにこんな長い駄文を最後まで読んでいただける機会はここくらいだと思っています。現実は辛いです。ではまた。

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