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四宮のフランス体験記#8


 ミロのヴィーナスをそそくさと退出したあと、ぼくはルーブルを相応に楽しむことができた。これは驚いたことだが、名画は名画だから心に感銘を受けるというものでもないらしく、予習が必要だということだ。名画はそれ自体の美しさや実力のみではなく、それらを中心に展開された歴史というものが価値に加わるのかもしれない。


 それに、周りの雰囲気というものも大切なのだなとも思った。ラファエロの『美しき女庭師』を見たときは、周りで見ているお客も静かで、まるで絵そのものがある種の威圧感を放っているかのようだった。対してダヴィンチの『モナ・リザ』を見に行ったときは、ちょうど団体客御一行様がモナリザの見学をしている最中で、ワイワイと多言語で雑談をしながら絵画とセルフィーを撮って、その場でインスタに投稿していた。モナリザと一緒にいる光景はインスタ映えするだろうが、さすがにやめてほしいと思ってしまった。周りがどんなに荒れていても微笑みを絶やさないモナリザの姿がやけに際立って見えたことを覚えている。


 こうして見学を終えたぼくは、そのままルーブルを後にすることにした。いろいろ見て回ったら、結局午後4時を回ってしまった。

 さて、このままぼくは日本人宿に戻って、リビングで雑談でもして過ごそうかと考えていた。しかし、帰りがけ、街の雰囲気が違う箇所があるような気がした。その小さな違和感のようなものは特に気にすることもなく帰ってしまったのだが、家に帰ってから、ぼくはその違和感の原因に気づくことができた。


 パリ・サンジェルマンとレアル・マドリードの試合が始まっていたのである。欧州チャンピオンズリーグというヨーロッパでもっとも強いクラブチームを決めるリーグとのことで、パリっ子たちはサンジェルマンに夢中なのだという。そして、今日の試合はサンジェルマンのホームゲームだ。違和感というのは、サンジェルマンのサポーターが醸し出していた高揚感に違いない。


 気になってTwitterで調べて、驚いた。ぼくが昼間に散歩したパリ中心部の公園や道路が、若者たちの集会場になっている。爆竹を鳴らしたり、酒を飲んだりする大騒ぎだ。まだ試合は始まってもいないのに、である。

「君も見る?」

 と宿のリビングでテレビを見ていたバックパッカーの兄ちゃんがぼくを誘ってくれた。パンとチーズもオマケについてくるということで、せっかくなのでご相伴にあずかることにした。

「それで、勝てそうなんですか」

 国外サッカーにはあまり興味がないのだが、こういう時くらいはお邪魔している場所のクラブチームのことがなんとなく気になってくる。

「いや、かなり厳しいよ」

 無精ひげを動かして兄ちゃんがそういった。その辺のスーパーから買ってきたと思われる西洋の缶ビールが絵になっている。なんでもパリ・サンジェルマンは不幸にも主力選手が二人も怪我で離脱中、そのうちの一人はあのブラジルのエースストライカー、ネイマールなのだという。飛車角落ちで優勝候補レアル・マドリードと対峙しなければならない状況に陥っているらしい。

「それは厳しいですね」

 素人でもこの状況はなんとなく分かった。マー君のいない楽天、坂本のいない巨人のようなものである。きっとそれ以上なのだろう。

 試合の展開は、レアル・マドリードが優勢だった。兄ちゃんとの雑談に花が咲く。

「どこから来たんだっけ?」

「○○(当時の在住地)です。パリにはあと二週間弱います」

「そう。俺はバックパッカーでイタリアから」

「いいですね。何を見に行ったんですか?」

「現地のワインが飲みたくて、行ってきた。こっちに来てからはのんびりしてるよ」

 兄ちゃんはどちらかというと歴史というよりは、現地の人々の文化や生活ぶりに興味があるようだった。パリに来ても教会や美術館の見学はそこそこにして、治安の悪いことで評判な移民街のご飯を食べに行ったり、そこにある商店街で買い物をしたりして遊んでいるらしい。

「移民街にうまいトルコ料理を出す店があるんだ。よかったら行ってみない?明後日なら暇だよ」

 唐突に提案をされた。しかも、ガイドもしてくれるという。経験不足のぼくにとって、それは助かる話だ。

「ありがとうございます。しかしフランスに来てトルコ料理なんて、なんだか不思議ですね」

 そういうと、兄ちゃんは蓄えた無精ひげを動かしてカラカラと楽しそうに笑った。なんとも、なんともバックパッカーらしいその姿だと思った。テレビ画面ではパリ・サンジェルマンの選手たちがパリっ子の応援を背に必死に戦っていた。しかし戦力差がやはりあるのか、1-2で負けという結果になってしまった。

 寝る直前、Twitterを開いてサンジェルマンのことを調べた。負けたことでヤケになった一部のパリの若者が、騒ぎすぎて警察に捕まったというニュースが話題になっていた。

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