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四宮のフランス体験記 #3

 ぼくは突如として現れた現地ガイドに従って、宿の最寄り駅へと導かれることにした。移動中の車内で、彼は見事にぼくの出身地を言い当てた。

「よく分かったね。中国人や韓国人には見えなかったの?」

「アクセントだよ。日本人がしゃべる英語を話してる」

 自分はアメリカ英語とイギリス英語の違いくらいしか分からない。きっと目の前で話しているパリジャンは国際色豊かな毎日を過ごしているに違いない。

 地下鉄の乗り換えは二度必要だった。名前もよくわからない駅で学生が、通勤のサラリーマンが、観光客が電車が止まるたびに次々と乗り降りしている。そして、話せば話すほど目の前の男性に対して好感が持てるようになっていった。まだ宿についていないから大きなスーツケースをぼくは持ち歩いている。だから、乗り換え駅での歩くスピードはどうしても遅くならざるを得ない。歩幅も彼のほうが長い。しかし、彼はあくまでごく自然に、なんでもないかのように歩くスピードを合わせてくれているのである。

 会話が弾み、青年もますます気をよくして「せっかくだからホテルまで案内してあげるよ」と言われ、ぼくもまたホイホイと調子に乗って彼に地図を見せた。そのまま言われるがままに案内され、そして、「ここだよ」言われた駅に降り立った。

 しかし、不安なことが一つだけあった。フランス語とは言え、若干英語に似ている。私の目的地は「ガブリエル・ペリ」という駅だが、ホームの駅名表示はどう考えても「ガブリエル・ペリ」ではなかったのである。

 「……あれ?」

 一抹の不安を抱えたぼくをよそに、好青年はホームから地下鉄へ向かうエレベーターのボタンを押して、「こっちだよ」とばかりに手招きをしている。そのあまりの好青年ぶりに、ぼくは一瞬の心の揺らぎを忘れた。

 地下鉄から出たパリは、相変わらず雪に覆われていた。なるべく外を歩きたくないのだろう、歩く人々はどこかせわしない。中心部からは少し外れているから高層ビルが立ち並ぶ万国共通の風景のような気がしなくもないが、街の看板のフランス語や道行く人々のファッション、車のメーカーがここがフランスであることを十分に告げていた。

 雪とフランスの中をぼくらは歩いてゆく。きっと、ぼくも今見ているこの美しい風景の一部分だ。まだ芸術の都に来て数時間もたっていないが、気分が高揚するには十分すぎる光景がそこには広がっていた。

 そして幸運なことに、ぼくには優秀で親切な水先案内人がホテルまで連れて行ってくれる。青年はもうすぐだよ、と言いながらぼくを導いてくれる。こんな方に巡り合えるとは、自分はなんと恵まれているのだろう。パリの濃厚な数時間は、これからの二週間を豊かなものにしてくれることを間違いなく保証していた。

 青年は慣れた様子で大通りをしばらく進むと、横道にそれていった。日陰になり、周囲の空気が少しだけしっとりとする。自分が取った宿は日本人限定一泊20ユーロ朝夕付きという安いものであった。いわゆるドミトリーである。なるほどこういう隠れ家的なものもよいかもしれない。

 しかし青年は、宿ではなく一件の店の玄関前で止まった。その店はごく普通のバーであった。しかし、ぼくのわずかな人生経験と野性的カンが、このバーがただのバーではないことを告げていた。何かとんでもないところに連れてこられてしまったような気がする。

 ぼくは、水先案内人が調子に乗って、ちょっとディープなパリツアーをしてくれたと信じたかった。しかしその希望はあっさりと打ち砕かれることとなる。彼はぼくのほうをまっすぐ向き、その真っすぐ純真な瞳で……。実に……実に紳士的な態度でぼくにこう話した。

「ちょっと一杯飲んでいかない?君を一目見たとき、これが運命だと思ったんだ。旅のロマンスを楽しもうよ、一緒に」

 青年は、肉食獣であった。

                             (続く)

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