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四宮のフランス体験記 #5

 四宮家にはとある言い伝えがあることもまた事実だ。ぼくの親父の話である。親父は小学生のころに一度痴女に襲われかけ、高校生のころに男に襲われかけた経験を持つ。親父は今でこそ50を超えた立派な中年だが、当時はショタ属性があったのかもしれない。これを初めて聞いたときは笑い飛ばしたものだが、これで親父のことを笑うことができなくなってしまった。

 旅行が終わった後、家族に真っ先にパリの青年にナンパされた話をした。すると両親共々大爆笑ののちに、「四宮の男は女以外にモテる」「お前も息子が生まれたら気を付けるように言っておけ」「20超えれば一人前なので貞操をくれてやったとしても文句は言わなかった」など、とても親とは思えない発言の数々を頂戴した。こっちは嫌がってんだよ気持ちを汲み取れよ。一番喜んだのは腐女子の沼に片足を突っ込んだ妹である。お前、さては生モノ行けるクチだな。

 話を旅に戻そう。前途多難を極めるパリの旅は、肉体的精神的犠牲を伴いつつも、ぼくをようやく宿へ連れて行ってくれた。聞くところによると、パリに日本人が行くようになったのはもっぱら明治に入ってからで、それ以前は鎖国とやらで、あの小さな島国の中に閉じこもっていたのである。明治の人々は勉強のためにパリを見てさぞ驚いたことだろう。

 今なら彼らの気持ちがわかる。ぼくもとても驚いた。本当に。

 宿はホテルに泊まると高くつき、いくらあっても金が足りない。そこでドミトリーということになったが、パリのような人気観光地になると日本人限定で泊まれる宿の経営が成立するらしい。ぼくは残された最後の体力を使い、自力で行くべき駅に辿り着いた。あの野郎。だましやがって。

 地下鉄で本来の目的である「ガブリエル・ペリ」へ向かう。時間が遅くなり、人々がせわしなく家へと向かう頃になった。この辺りのことは正直、あまり覚えていない。なんとか宿に辿り着いたことは記憶している。

 宿は当然、日本語が標準語である。雪に打たれ、青年に心を撃たれたぼくの憔悴しきった顔をみて管理人の方は大層驚いていたが、手続きを簡潔に済ませてくれ、細かいやり取りは明日の朝やればいいから今はとにかく寝てよいと言ってくれた。

 仕方があるまい。こうしてぼくのパリ最初の日が終わりを告げた。そもそも乗り換え空港での待機時間を合わせれば30時間を超えるかというフライトだったのである。それに加えて現地の大雪、そして青年の襲撃と極東の青年が一日で体験するには少々荷が重すぎたのである。

 本来であればドミトリーに泊まる相部屋の方に挨拶をして雑談の一つや二つするべきなのだろうが、それをする余裕もなかった。僕は同居人への挨拶もそこそこに、色々あって疲れたとの旨を言い残してさっさと眠りについてしまった。そこから泥のように眠ったのは言うまでもない。

 


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