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「考えるとはどういうことか」/読書会レジュメ(2019年3月)

昨年後半から隔月で、ある読書会に参加しています。課題図書があるのではなく、自分がおすすめしたい本を持ち寄って、紹介し、語り合うスタイルです。毎回どの本を選ぶか考える段階も楽しいし、参加者の皆さんの多彩な本の薦めが刺激になり、思わぬ気づきをもらえて視野が拡がるんですね。
ただ、自分のプレゼン力が低すぎる反省があるため、事前に書くことで整理してみることにしました。レジュメとして活用しちゃいます。

■選書:「考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門」(2018/09/27発売)

■なぜこの本を選んだ?

元ほぼ日CFOの篠田真貴子さんのnote記事がきっかけです。

篠田さんは、輝かしいキャリアをお持ちなのに、50手前で次を決めずに辞められたタイミングなんです。その事自体がニュースになるほど格好良いお方。勝手に憧れ、尊敬しているのです。
ジャンル問わずバラエティに富む選書から、自分にも読めそうで引っかった1冊を選びました。この本の感想の要点がいちいち頷いてしまうものだったからです。

■著者紹介:梶谷真司先生

梶谷真司(カジタニシンジ)氏は1966年名古屋市生まれ、東京大学の教授です。主な研究分野は「哲学(特に現象学)、比較文化、医学史(主に江戸~明治時代)」。東大大学院の総合文化研究科・教養学部にある、共生のための国際哲学研究センター(UTCP)の所長です。哲学・思想の国際的ネットワークを形成する機関だなんて、自分とは程遠い世界、と思いがちですよね。でも梶谷先生が発信されているものや、著書をみれば、哲学テーマでも小難しくなく、非常に読みやすく優しい印象なのです。

幻冬舎サイトからは「はじめに」を読むことができます。

こちら↓の記事はとてもバズったようで、お人柄がにじみ出ています。

哲学=難解変わった人がやっている厄介なもの」といったイメージを取り払いたいし、「哲学」が小難しくても、「哲学する」ってもっと気軽に体験できるよ、と私たちの考えを深める入り口を作ってくださっています。

■サマリー

「考えることは大事」と言われるが、「考える方法」は誰も教えてくれない。ひとり頭の中だけでモヤモヤしていてもダメ。人と自由に問い、語り合うことで、考えは広く深くなる。その積み重ねが、息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖から、あなたを解放する――対話を通して哲学的思考を体験する試みとしていま注目の「哲学対話」。その実践から分かった、難しい知識の羅列ではない、考えることそのものとしての哲学とは?生きているかぎり、いつでも誰にでも必要な、まったく新しい哲学の誕生。
(幻冬舎・書籍紹介より)

考える方法は、「問い、考え、語り、聞くこと」

はい、これだけ覚えて帰ってください! というくらいこのことに言及し、その方法を教えてくれる本です。

先生がすすめる「哲学対話」は、もともと欧米では「子どものための哲学」のスタイルで、思考力を育てるためのもの。日本では学ぶ場がなかった「考えること」を体験するのには、最適なのだそうです。5〜20人ぐらいのグループで円陣になって対話をするのが基本で、以下8つのルールがあります。

<哲学対話8つのルール>
①何を言ってもいい
:自由に考えるために必要なのに、それが許されていない日本の実情があるから。
②否定的な態度をとらない:自由と多様性が思考に深みを与えるため、これらに配慮が必要ということ。
③発言せず、ただ聞いているだけでもいい:無難でそれっぽい意見を言ってしまうと、それ以上考えるのをやめてしまうから。
④お互いに問いかけるようにする:「問わないほうが無難」という忖度があっては始まらないから。
⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す:対等に話をするため、武器となる知識は捨てなくては。
⑥話がまとまらなくてもいい:安直な答えを求めがち、それは失望を生むことにもなるから。
⑦意見が変わってもいい:一緒に考えることで前提が問い直されることもあるから。
⑧分からなくなってもいい:問いが増えることが、より哲学的になることだから。

こうして「哲学対話」の場では、「問い、考え、語り、聞くこと」の間は自由に行き来してよいのですが、そもそも「私たちは考えることによって自由になる」という大前提があります。

裏返すと、考えないことは不自由であるということです。それこそ0〜100歳の誰にとってもヒントが得られるのではないでしょうか。
「自由」というのも頻出単語で、理解しきれていないところもあるので、もっと深めていきたいポイントです。

■おすすめ(気づき)ポイント3つ

すべてに説得力があり、哲学対話の可能性を信じて、「自分で考えること」を諦めたくないと思わされました。子育てにおいても、これから教育や進路を考えるうえで、おおいに参考にできるし、自由に考える力を奪わないように(すでに奪われていることも認識)しなければなりません。
深くて重くもなっちゃいそうなのでちょっと脇からの気づき、唸ったポイントです。

<1>テンプレート、事例が助かる

問いの質を気にしていると進まないので、「とりあえず問う」時のため具体例が載っています(第3章125P〜)。子ども、中高生・大学生、社会人、母親、年配の人、それぞれの問い事例と、基本的な問い方のテンプレートが基本から応用まで。親切! だいぶイメージしやすくなり、身近に置き換えることができそうです。問う方法がわかれば、考えることができますから。

そして一見すると問いのように見えて、問いでないものにもハッとさせられました。
「不満や不安、怒りや恐れや苦しみと共に発せられる問いは、多くの場合、問いではなく、拒絶、否定、避難、侮蔑、呪詛である」
例えば、
なんでこんなことしなきゃならないの?➡やりたくないという拒絶
なんでこんなこともできないんだ?➡無能なやつだという侮辱
なんでこんなのがいいんだ?➡いいわけないという否定
何を言ってるの?➡バカなこと言うなという非難
なんであんな奴がのうのうと?➡バチが当たればいいのにという呪詛
といった具合で、これら思考の放棄は何も生み出しません。身に覚えがあるだけに心苦しいです。抜け出すには、問うのをやめるか、問いを立て直すかが必要。入門書として、発想を転換するヒントをいただきました。

<2>傍点が効いている

著者の強調したいワード、大事なところが、太字になってることって多いですよね。紙の本でもウェブサイトでも。noteでもついBoldかけちゃいます。
でもこの本では、一貫して「傍点」をふっています。けっこうな頻度で傍点なのですが、それがなんだか効いているんですね。
傍点の効能としては、「言葉の意味をよくよく考えてくれ!」と語りかけられている気分になるところです。返事したくなるので、対話のように深まります。

<3>思わぬ共通項

このカバー画像でネタバレしてるんですが、実際には「あとがき」を読んでわかったことです。最後に参考文献としてあげられていた一冊が、山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる! 文章を書く』。著者がこの本から多大な影響を受け、「哲学対話」に出会うことができた、と賛辞を贈っていたのです。

私も昨年、山田ズーニーさんの講義を受けたことを機にこの本を読んでいて、真摯な考え方にとても感銘を受けました。知らずに読みながらも、知ってるようにしっくり共感できたことに、合点がいきました。しかも両書の企画・編集ご担当の方が同一女性なのだそう。こういう繋がりを知ることも嬉しいものです。

※Kindle版がAmazon Prime会員読み放題に入っています(2019年3月現在)

まとめ

読み進めるうちに、「この読書会こそ、哲学対話の実践の場なのでは!」という気づきがありました。大筋でルールに則ってると、私は感じています。
とにかく著者が言っているのは、「考えること」とは、他の人との対話により、「共に問い、考え、語り、聞くこと」ですから。
多様な人(異なる年齢、性別、職業、境遇の人たち)が集まって、「自由に話す」「自由に質問する」ことができる場です。みっちり5時間飽きもせず、皆さんから発せられる問いを考えることで、脳みそつかった感=充足感につながっている理由が、紐解けた感じがしました。

一方で、利己的ですが自分の考えを明確にするためにも、この場(noteも)を利用させてもらえてるんです。「他者に対して、声に出して語る(あるいは文字で書く)ことではじめて、考えを形にすることができる」からです。貴重! ありがたい!!

レジュメを先にnoteにし、読書会に臨む試み、うまくいくでしょうか。他の皆さんからのご紹介本にも問いを立ててみたい、という欲求もムクムクわいてきました。その場で、或いは後追いの記事でも、哲学的思考を深めてみたいと思います。

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