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人間は機械?

1.5日間、本を読まなかった結果…

第4回のきょうは、『人間とは何か』(マーク・トウェイン著)です。

本論に入る前に、前回の第3回をご覧になっていない方は下記リンクからぜひどうぞ。

前回の内容を簡単におさらいすると、ショウペンハウエルは「読書は自分で考えることを奪ってしまうため、必要なとき以外は読書はするな!」とのことでした。

うわ、そうだったのか…と今までの読書方法を全否定されたように感じた私は絶望し、そのまま本の内容を真に受けて、5日間本を読むことをやめました。

すると、考えることも徐々に少なくなり、知的好奇心が全く満たされませんでした。

自分で考える力がこんなにも弱く、本を読むことで自分で考えたつもりになっていたことを痛感しました。

「ショウペンハウエルさん、本を読まないのは耐えられません!考える材料くらいはさすがにほしいです!」ということで、積ん読のなかから『人間とは何か』を選びました。


2.人間とは何か?

本書のポイントは大きく2つあります。

①人間は機械である。
 人間の行動や思想は、当人自身がつくり上げたものは何一つ存在せず、しかもそれを支配する力もない。p7,13,16,14

②人間が行動を起こすに至るのは、自分の心の満足を得たいという衝動のみ。p24,25


①について、マーク・トウェインは、人間は「非人格的な機関にすぎない。思惟も衝動もすべて外からくる」と述べています。

つまり、自分で考えたことなんてないし、しかもそれが1からということも全くないということです。

たとえば、何かの意見を受けて自分は反対したとします。

実際には、その意見に触れた(=外から力を受けた)ときに、自分の今までの経験や育ってきた環境、出会った人、読んできた本、祖先たちのDNAといったものが様々なものが集積された心が自動的に反対という作用をもたらしているだけということになります。


②について、基本的に人間は機械なので外から力が加わらない限り自分でつくり上げた行動や思想は存在しません。

しかし、自分の心を満足させたいときにだけ、自ら行動を起こすのです。

ここでは、他者貢献や自己犠牲といったものはあり得ないという考え方です。

目の前のかわいそうな人を放っておくことや他者からの冷たい目が何よりも耐え難い苦痛であったり、他人からよく思われたいという見栄が何よりも重要であったりと、自分にとってが最も心が安まる行為を選択しているにすぎないとマーク・トウェインはいいます。

そして、自分の心が最も安まる行為、自分の心が最も満足する行為が何にあたるのかが、人間の出来ということです。


3.本を浴びる

私はバカ真面目なので、本の内容をまたもや真に受け、そして絶望しました。

就活で「他者に貢献できる人間になりたい」とか言っていましたが、他者貢献や自己犠牲といった言葉を使っている時点で、他者貢献や自己犠牲をしている私ってかっこいいですよね?とアピールしているのと同義であり、人間としての出来が低いですと自ら言っているようなものだと感じました。

他者貢献や自己犠牲をしている私を認めてもらうことで心が休まる人と、困っている人・苦しんでいる人が助かることで心が休まる人で、他者貢献や自己犠牲といった言葉の意味も変わってきます。

「人はいろんな経験をして大きくなっていくしかない」とよく言いますが、本書の理論と照らし合わせても間違っていないといえるのではないでしょうか。

しかも、外からの力を受けることでしか自己を高めることができない(機械なので外からの力でいじってもらうしかない)ため、いまさら就活や転職で求められる原体験の運の悪さを恨んだりしても無駄だといえます。

人間が機械だとすると、本を読むことは考える材料を投入する、必要なことだと言えます。

ショウペンハウエルとは反対の主張を偶然にも知ることができたことで、今まで本を読み漁ってたことは全くの間違いではなかったと思いました。

どちらかというとマーク・トウェイン派なので、今後も定期的、継続的に本は読んでいきたいと思います。

一方で、今までのようにただ厳しい環境に身を置きたがるだけ、ただバカみたいに本を読むだけではいけないことは確かです。

井筒陸也さんと河内一馬さんの対談のなかでも「質の高い文章、本を読むことが重要」と語られていました。

これはまた少し話がそれるのでこの辺にしておきます。


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