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口がきけない私 〜保育園編①〜

私の最初の記憶は、それは硬い臭い塊を口の中に押し込まれる感覚だった。
それが哺乳瓶だったことをずいぶん後になって知った。

母乳の出が悪かった母は哺乳瓶で粉ミルクを飲ませようとしていたらしいが、私は断固拒否していたらしい。

母乳の出が悪くても母の乳房は柔らかくていい香りがしたのだ。
「あんな硬くてゴム臭い乳首なんかに騙されるものか」
きっと私はそう言いたかったのだ。

私は長子として生まれた、女ではあったが長子だったためにその誕生を皆が喜んでくれたようだ。

初孫ではなかったが、初めての内孫である私を祖父母は大層可愛がり、手放さなかったそうだ。

特に祖父は私のことを「神童だ」と言い、いずれ女大臣になると自慢していたらしい。

その頃は昼間は近所のお爺さんお婆さんたちがお茶を飲みにやって来て、夜もまた父の兄弟や従兄弟や友人がお酒を飲みに来ていた。

私はたくさんの大人たちに散々褒められて、自分は特別な子供なのだと思うようになった。

3年後、弟が産まれた。
跡取りが産まれて安心したと言わんばかりに、その数ヶ月後には祖父が亡くなった。

すると、もともと母に当たりが強かった祖母は、あらゆる手を使って私を自分の側に置こうとした。

しかし長男である弟は身体が弱かった為、祖母は母から彼を引き離すことはしなかった。

私はいつも母におぶわれている弟のことが羨ましかった。
どんなに祖母が手を尽くしても、子供は母親を求めるものなのだろう。

私の教育に関しても祖母が主導権を握っており、嫁である母はなかなか口出しが出来なかったようだ。
しかし、母が私を「保育園に通わせたい」と強く主張したことがあった。
「子守がいるのだから幼稚園や保育園に入れる必要はない」と、祖母も負けじと言い張ったそうだが、母はなんとか父に祖母を説得させ、私は1年間限定で保育園に行くことになった。

その時からおそらく母は気づいていたのだと思う。
私が特定の人の前でしか言葉を発していないことに。

私は近所の2歳年下の男の子と保育園に通うことになった。
初日はずっとその子と手を握って過ごしていた気がする。

しかしクラスが違うので、次の日から私はひとりで何とかやり過ごさなければならなかった。

私の家の周りには年上か年下しかいなかったため、同い年の子供と初めて接した私はカルチャーショックを受けた。

年上の人はとにかく褒めてくれるし年下は弟も含めて慕ってくれるのに、同い年は挑んでくるのだ。

「巻き舌はできるのか」
「指相撲で僕に勝てるのか」
「この歌を歌えるのか」

そんなどうでもよいことをふっかけて、優劣をつけようとしてくるのだ。

今思えば大したことではないのだが、当時の私には出来ないことばかりで、家に帰って母と祖母に泣きながら「みんなが出来ることが私にはできない」と訴えた。

祖母は

「よっちえちゃんは3月の終わりに産まれたんだから、同い年っていったってみんな年上なんだよ。だから出来なくって当たり前」

そう言った。

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