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note書きましょう

noteを書くか書かないか?

毎日更新を続けるか続けないか?

そもそもnoteを書く意味があるのか?

noteを書いていると、こういったことを考えて手が止まることがある。

最初は誰しもが、何かしらの期待をこめてnoteを始める。

その勢いのままに数記事書いて、自分の書きたいことをあらかた書いてしまうと、記事を書く手が止まってしまうのだ。

それでもそこから更に数記事は書いてみるものの、そこから先、noteに何書こうかなと考える時間が負担になり、noteを書き続ける意味を見失うのです。


noteを始めようって時に期待した効果を実感できないし、それよりも時間を取られるなどのデメリットの方が大きいような気にもなってくる。

1日の自由な時間のうち大半をnoteに取られているようで、本当にそれでいいのかと思ってしまう。

だから悩む。

noteを書く意味なんてあるのだろうかと?


もちろん何でもいいから書くというのなら誰にでもできる。

でもnoteとして世に出すのであればある程度、記事の品質も必要だと考える。

だから書くのが辛くなってくるのである。


そんな時は、また最初に立ち返って欲しい。

なんでnoteを書こうかと思ったのか?

そして、noteを書くことは辛いことではなく、面白いことなのだという前提を改めて認識してほしい。


書くことって面白い。

書くことって本当は楽しいんです。

それはnoteを始めようとした人には分かると思います。


noteってなんだろう。

感謝の正拳突きみたいなものなのかもしれない。

ちょっと分からない方にはごめんなさいなのですけど

HUNTER×HUNTERって漫画にネテロというキャラクターがいます。

ネテロは修行の一環で、まず合唱して拝み、そこから正拳突きを繰り出すという修行を1日1万回毎日行っていました。

無駄なことをしているように見えるこの行動。

それを続けてきたことにより、この感謝の正拳突きはネテロの大きな力となったのです。

それから敵と戦う時にもネテロはまず合唱してから、技を繰り出すようになる。

合唱するという一見無駄の行動を入れているのだけど、それが起点となって敵のいかなる攻撃にも対応できるのである。

これはあくまで漫画なのだけど

noteを書くことというのも、この感謝の正拳突きに繋がるものがあるんじゃないかと思います。

noteを書くことって、一見無駄に見えるかもしれない。

それでも書き続けた先には、それが無駄じゃなかったと思える何かしらの結果は得られるのです。

わざわざこうしてnoteを書いているんですから、絶対に何かしらのプラスな面はあるし、そもそもこうして書くことって面白いのです。

だから続けられる。

ただ辛いだけだと続かないですよね。

noteって面白い。

noteに意味を見いだせなくなってきたとしたら、とにかく書くことは面白い。

その原点にだけ立ち返って欲しい。


noteは面白いんだから、もっと気楽にかけばよい。

書くことがないなら、書くことがないから書き出してしまえばいい。

今日は何もないと思っていた1日にも、そうやって書き出してしまえば何かしらがあった1日なのだと気づくことができるのです。

そうやってまた1記事を書き連ねることができた。

そのことも自分にとって大きな自信になるし、書くことの面白さに気付けるきっかけになると思う。

だから、note書きましょう。

誰にも見せない日記という形でもいい。

とにかく何かを書くことを続けましょう。

感謝の正拳突きだと思って楽しく書きましょう。

皆さんのnoteライフが、日記生活が、素晴らしいものとなりますように。

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