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彼は知人と壁一面を占める戦いの絵をみていた

彼は知人と壁一面を占める戦いの絵をみていた

騎馬と歩兵の左右からの激突
戦衣装の華やかさ艶やかさ
天の法則を示す飛ぶ矢の放物線
突き合う槍の激しい輝きと飛び散る炎

馬のいななき 鬨の声 空駆ける戦車の鳴動
剣が鎧にあたり鎧が剣をはじき返す金属音の連打
肉を切り骨を折る無数の微妙な音の変奏
切りつけ切られ死んでゆく男の叫喚は吹き抜ける風の発声練習

彼は優勢な側のひときわ目立つ武将に目を奪われる
その自信に満ちた瞳 巧みな戦術と采配
剣の一突きで三人の敵を貫き殺し天にかかげる猛々しさ

敵陣では、戦士と馬の躯の山が峰を成し
断首された燔祭の山羊の如く血があちこちで泉となって湧き大地に滲み
その川がいくつも合流し奔流となって黒雲の荒地を削る

血の高波がキャンバスの堰を越えガラスにどうどと打ちつける
額縁から一滴また一滴と雫が落ち何度も王冠をつくる

おかしいぞ、離れよう
いやまだだ 美しい

おい、離れろ
いや、まだだ

先に行くぞ
好きにしろ

絵画がたちまち膨張し赤黒い袋が飛びだし
彼がああという声の一針で破裂した

天上を突き破る動脈流の噴出、絵画の内臓の飛散は
壁にひときわ大きいラフレシアの花をさかせた

飛び出た剣は彼を貫いた 絵の内臓は彼の首を絞めた
噴きだした爆流は彼を飲みこみ巨石で擂り潰し押し流した

悲鳴が八十八の鍵盤が左から右に右から左に部屋を行き来した
展示室を満たした赤が、洗濯槽の螺旋を造りだし
巻き込まれた知人や見物客が回転する

その夜に止まらなかった回転は
翌日も止まらず
その明日になっても止まらず
数十年後にようやく止まった

建屋はすでに廃墟となり朽ち
そこへ続く道も埋もれ獣の道となり
街の人々の記憶は新たな記憶で上書きされていた

展示室は黒百合の群落で埋まっていた
長楕円の葉をカタツムリが這い眼を伸ばした

光が、天窓から射し黒百合は石となった
鎮魂のうたが風が窓をとおりぬけ黒百合は塵となり
舞い上がり 夕闇の層雲となり 夜の霧となって消え失せた

【AT0HDB0】

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