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フランスの旅(9)モネと「印象派」の故郷、港湾都市ル・アーブル
雨の音で起きる。窓の外は大雨だった。「もし予定通り自転車で旅していたら」と思うとゾッとした。無理だ。
1時間ほど原稿を進め、支度をして出発。上下レインウェアと、レインカバー付きのリュックで完全武装。ルーアン駅まで20分の道のりを歩いた。
駅の向かいに「Maison Yvonne」というパン屋さんがあり、賑わっていたので入ってみた。フランスのパン屋さん(Boulangerie:ブーランジェリー)は、大抵エクレアやシュークリームなどのスイーツも売る「Patisserie」(パティスリー)も兼ねていて、この店も例外ではなかった。
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サーモンを挟んだクロワッサンのサンドイッチを店内で食べた。サーモンがぎっしり入っていて、かなり食べ応えがあり、おいしかった。
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9時57分の電車に乗り込む。車内では原稿を書いていた。50分でル・アーブルに到着。
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1840年にパリ市内で生まれたモネは、少年時代をル・アーブルで過ごした。だからここは、モネの故郷と言える街である。
駅前の「Nomad Hotel」に入る。まだ11時だから当然チェックインはできない。外は大雨で観光に出かける気にもならないし、ラウンジで原稿を書くことにした。コーヒーマシンも使わせてくれてありがたかった。あっさり2時間半が過ぎた。
「そろそろチェックインできますか?」
「もちろん。パスポートをお願いします」
「はい」
「ありがとう。・・・あら? 予約が入ってないわね、どうしてかしら」
「え? そんなはずは・・・。確かめてみます。・・・Oh! I’m sorry.」
なんとここは、予約したホテルではなかった。。。
「本当にごめんなさい、ぼくが勘違いしていました」
「それなら安心したわ」
ラウンジを使わせてもらって、おまけにコーヒーまでいただいてしまって申し訳なかった。当初このホテルを検討していて、Googleマップに星マークをつけていたため、すっかり泊まるものだと思い込んでしまっていた。でも実際に予約したのは、「ibis」という別のホテル。あり得ないミス、疲れているな。。。
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急いで移動し、正しいホテルにチェックインした。荷物を置き、25分ほど歩いて「アンドレ・マルロー美術館」へ向かう。
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街の中心部は、独特の街並みが広がっていた。実はこの街並みが2005年、「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」として世界遺産に登録された。
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ル・アーブルの街は第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦により、150ヘクタール(東京ドーム32個分)が破壊されてしまった。街を再建するにあたり、任命を受けたのが建築家オーギュスト・ペレだった。戦後、輸送が必要な石や木材を使えないなかで、彼は鉄筋コンクリートを利用した集合住宅を設計した。その数なんと、100棟。計40万人の住まいとなる10万戸分の集合住宅を生み出したのだった。今では当たり前になっている鉄筋コンクリート造だが、実は都市型集合住宅の建材として最初に利用したのがこのペレだったそう。この業績もあって、鉄筋コンクリートによる建築を世に広めた近代建築史上重要な人物となったそうだ。ちなみに彼が最初に造った都市型集合住宅は、ル・アーブルではなくパリのフランクリン通りにある。1903年に建てられたアパートで、現在も残っている。
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余談だが、1913年に完成したパリのシャンゼリゼ劇場も、ペレによる設計だとわかった。以前にも書いたが、ぼくは21歳のときにこの劇場で和太鼓を演奏したから、小さなつながりを感じられてなんだか嬉しい。
ル・アーブルの街の歴史は意外と浅く、ここに港が建設されたのは、1517年のこと。当初は軍港だったが、その後商業港となり、発展した。セーヌ河の河口という抜群の立地から、ヨーロッパ中から船が集まった。ここからセーヌ河の水運でパリにモノを運べた。
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やがて1847年にパリとル・アーブルを結ぶ鉄道が開通すると、ル・アーブルはフランスで最初のリゾート地のひとつになった。そしてさらに街は発展した。19世紀にフランスの画家たちに影響を与えた日本の浮世絵も、船でこのル・アーブルに運ばれ、パリまで辿り着いたのだろう。と言っても当初西洋に入ってきた浮世絵は、「アート」としてではなく、陶磁器などの「包み紙」としてだった。しかしコレクターや画家たちから「これはすごいぞ」ということで評判を呼び、徐々に浮世絵が「アート」として西洋で購入されるようになっていった。よく知られているように、モネやゴッホも浮世絵から大きな影響を受けている。
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フランスの作家アンドレ・マルローの名を冠した美術館に着いた。2006年に改装され、現在はフランス有数の印象派コレクションを誇る。
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大西洋に面していて、モネはこの美術館のすぐ近くから『印象、日の出』を描いた。彼はこの絵を1874年、ルノアール、シスレー、ピサロ、ドガらと自主的に開催した展覧会に出展したところ、批評家から「単なる印象でしかない」と揶揄された。この批判的な言葉が世間に広まり、「印象派」という名称が生まれたと言われている。でもモネからすれば、「そう、まさに印象なんだよ」という開き直った気持ちだったみたいだ。
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ちなみにこの『印象、日の出』は、パリの「マルモッタン・モネ美術館」に所蔵されている。パリに戻ったら行くつもりだ。
さて、このアンドレ・マルロー美術館は7ユーロとパリの美術館と比べて安いが、実に素晴らしい美術館だった。開放的で心地良い館内に、モネ、シスレー、ピサロ、ルノワール、マルケ、デュフィ、ブーダンなどを中心に展示されている。
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ここでもシスレーの素晴らしい絵画に出会えて嬉しかったが、強く印象に残ったのは吹き抜けになった2階の壁一面にずらりと展示されていたブーダンの絵画だった。
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奥まで含めると100点以上あったらしい。ものすごく贅沢な並べ方。日本だったらこのコレクション数だけでブーダン展が開けてしまうくらいの規模で、ベネチアの絵や雲の習作が美しかった。ブーダンはまだ10代だった頃のモネの才能に気付き、指導した人物でもある。ぼくはシスレーと同様、ブーダンの描く空が好きだ。
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また、同じく好きな画家であるデュフィの作品も多く展示されていた。彼の色彩感覚と筆の軽やかさには惚れ惚れする。『ドビュッシーへのオマージュ』が良かった。
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大満足。この美術館だけでもル・アーブルに来た価値があると言える。
美術館を出るとようやく雨が上がっていて、水たまりに反射する青空と夕陽が美しかった。さすが印象派を生んだ街だと思った。
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その後、街の中心部を散策。大聖堂や、ブーダンの絵のモデルになったという場所、火山の形をした図書館など。
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そして遠くに見えた奇妙な塔は、「ノートルダム・デュ・ランシー教会」だった。実はこれも、オーギュスト・ペレの建築。
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世界初の鉄筋コンクリートで建てられた教会だそうだ。内部は現代的なステンドグラスが縦に横にと直線的に広がる。古風な外観とのギャップが大きい。モダニズム教会だ。
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夜は「NACHOS」というメキシカンのファーストフードに挑戦。イメージとしては、「サブウェイのメキシコ料理版」みたいな感じ。最初に生地を選び、ライスの種類を選び、豆や野菜、肉、ドレッシング、アボガドなど好みに合わせて盛り付けていき、最後は生地を巻いてできあがり。FAJITA(ファヒータ)という料理。
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なかなかおいしい。辛いソースが気に入った。NACHOSは大きなチェーン店のようで、いろんな街で見かける。
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その後、今年できたというスタバへ行き、アメリカーノを飲みながら原稿を書いた。
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20時に店が閉まったあとは、カルフールでシードル(リンゴの発泡酒)を買い、部屋で飲みながら作業した。
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