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【チャット文化】若者とのコミュニケーションで感じた違和感の正体

昨日ツイートした一連の内容が思った以上に反響があったので、もう少し詳しくnoteに書いてみる。

昨日の午後、ぼくは東京都調布市にある「ドルトン東京学園 中等部・高等部」の酒井先生と打ち合わせをしていた。外部講師として、中学生・高校生向けに「書くこと」についての授業を行うことになったからだ。

この学校では、一般科目の授業のほかに、様々な外部講師を招いて行われるユニークな特別授業が多数用意されていて、中学1年生から高校3年生までが、好きな授業を選択できる仕組みになっているそうだ。

そして昨日が、初めての打ち合わせだった。「90分×3回」という枠組みで、「書くこと」をテーマにどんな授業が良いだろうかと酒井先生と議論していた。

少し雑談になったとき、ぼくは、今の子どもたちは小さい頃からLINEなどによるチャット文化が浸透しているから、このまま育つとどんどん「書く力」や「伝える力」が落ちていくんじゃないかと懸念しています、と話すと、「いや中村さん、まさにそうで・・・」と、先生は生徒とのやりとりの一例を紹介してくれた。

その話を聞いて、ますます思い当たる出来事があった。

最近の学生は突然、「ワーホリ行くならどこの国がおすすめですか?」みたいな、背景も条件も何もわからない連絡を送ってきたりする。そのことを先生に話すと、共感しつつ、興味深いことを教えてくれた。曰くあれは、「一発で全部書くのではなく、次に相手が質問してくれることを想定して、やりとりするつもりでいるんです」と。

なるほど、「まさにチャット文化だ」と思った。ぼくだったら、「お久しぶりです。実はこういう理由でワーホリに行くんですけど、もしこういう条件だったらどこの国がいいと思いますか?」みたいに必要な情報を一度に書くけど、若い子たちのチャット文化では、それは「長過ぎる」のだ。すごい納得した。チャット文化とメール文化の違いかもしれない。

だから多分、「ワーホリ行くならどこの国がおすすめですか?」と聞いてきた学生は、ぼくが「英語圏じゃなくてもOK?」とか「予算はどのくらい?」とか、そういう質問を返すことを想定してのことなのだろう。それで「チャットのやりとり」の中で最終的に目的が果たせればいい(おすすめの国がわかればいい)、ということだと思う。

まさに文化の違いを感じる。こういう子に「あのなあ」みたいに口やかましく言うと、本当に「めんど」と思われそう。世代間ギャップはなかなか難しい。

昨日、このことをSNSに載せたら、随分反響があった。「なるほど、納得です」「親子の会話でもあるあるです」などの声のほか、ある友人からは、「ラリーで(お互いに短い言葉で)やりとりするのは価値観の違いなのでわかりますけど、どうしても『人の時間を使っている』という意識が低いのでは、と感じてしまいます」というコメントをいただき、まさに、と感じた。

詳細を話す必要がありそうだ。以前、学生から届いたのはこんなLINEだった。

「ワーキングホリデーでおすすめの場所あれば教えていただきたいです」

ぼくは、結構ショックを受けた。過去に面識のある学生だけど、数年ぶりの連絡が、いきなりこの短文だったからだ。おまけに、彼女が今何をしているのか、どういう状況にあるのか、ぼくはほとんど知らない。

それに、日本人がワーホリで行ける対象国は、現在26カ国ある。旅行が好きなぼくは、どこの国だろうが、その国の良いところを知っている。だから何の条件もなしに「おすすめを教えて」と言われても、全部おすすめだし、答えようがない。

いったいどう返そうかと、ひとりで悶々と考えているだけで気が沈んできた。面倒なやつだなと思われたかもしれないけど、ぼくは長々と、思うことを伝えた。

お、ワーホリいいね! もう少し、目的や希望などの条件が知りたいです。

たとえば「海外旅行のおすすめ教えてください」だけだと、「どこもそれぞれいいよ」ってなるけど、「自然が好き」とか「古い町並みがいい」とか「リゾートよりは都会がいい」とか言ってもらえると、限定されて答えやすくなるので。

地域(ヨーロッパに行きたい、とか)、言語(英語圏かどうか)、物価の高さ(高くてもいいのかどうか)、観光的な意味での魅力がほしいかどうか、などがわかるといいかな。

あるいは、何でもいいからおすすめと言われたら、個人的に真剣に行こうと考えていたのはポルトガルかポーランドでした。

すると、こんな返信があった。

英語圏でかつ、生活費が安く抑えられるところがよいです!!!
できるだけ英語に触れてリスニング力とスピーキング力を上げたくて

「だから、これを先に教えてよ!!」と心の中で叫んだ。

もし事前に条件を聞き返さなかったら、ぼくはその子について知っている数少ない情報をもとに、真剣に26カ国の中からおすすめの国を考えていただろう。そして長時間考えた末に「ポルトガルもいいんじゃない?」と言って、「いや、英語圏がよくて」とあっさり返されて、ひどく落ち込んでいたかもしれない。

でも英語圏となると、オーストラリアやカナダ、ニュージーランド、イギリス、アイルランドの5カ国しかなく、ずっと考えやすくなる。母数の違いは大きい。

「村上春樹の小説でおすすめありますか? できるだけ短めの作品がありがたいです」とか言ってくれれば、相手が知らない人でも比較的答えやすい。しかし、「おすすめの本を教えてください」とだけ言われたら、ぼくは「本!!!!?」と叫ぶだろう。本!!!!? 

最初からある程度条件を絞ってくれれば、わざわざこちらから「どんな条件かな?」なんて聞き返さなくて済むし、「そういう条件ならこの国がいいんじゃないかな」と一発で伝えられる。お互い、時間を有効に使える。

もちろん、若者のみんながみんなこういうやりとりをするわけじゃないと思うけど、もしこういうやりとりが頻繁に発生するとしたら、友人の言ったとおり、かなり自分の時間を奪われるなあと感じる。コミュニケーションコストが甚大である。

LINEやチャットの文化にはもう抗えないから、ぼくらの世代ほどかしこまらなくてもいいけど、せめて「相手が答えやすくなる質問の仕方」は考えてもらえるとありがたい。そしてそれって結局、「想像力」の話につながってくるのかな。ぼくが文章を書くときも、「こう書いたら読者にこう思われるかもしれないから、こう書いておくか」みたいに、いちいち考えるから。

やっぱり「書く力」は「伝える力」につながってくる、と思った夜だった。長文であれ、LINEであれ、人に伝えるうえでの本質は、あまり変わらないはずだ。

P.S. このnoteへの反響も大きく、共感するコメントやツイートをたくさんいただきました。ありがとうございます。また、「若者に限らず、大人でもいる」というご意見も多かったです。

【追記 2022年8月30日】
たくさんのコメントをいただくなかで、後から感じたことがいくつかあるので、ここに追記しておきます。

まず、この聞き方が嫌な理由は、単に答えづらいだけでなく、雑な聞き方によって「自分が蔑ろにされている」と感じてしまうからかもしれません。人によっては、自己肯定感まで下がってしまうと思います。相手の時間を奪っているという感覚がないのは、リスペクトがないからだと思いますし。だから、きちんと質問してくれるとそれだけで心温まります。

若い人たちには、質問する際は「背景やニーズによって、相手から出てくる情報が変わってくる」ということも伝えたいです。でもこういうのって、確かに学校の勉強ではなかなか教わりません。それぞれが社会生活の中で、偶然どこかのタイミングで学ぶものでしょうか。本当はこういうことこそ教育現場で教えるべきでは、とも思います。ただでさえ教員の負担が問題になっているので、あまり強くは言えませんが。

また、傾向として、確かに物心ついたときからLINEでやりとりしている若者にこうしたコミュニケーションの仕方が多いのはありそうだけど、実際のところ世代は関係なく、「相手の負担を減らす配慮」があるかどうか、言い換えると、条件が不足した状態で質問すると相手の時間を奪うことになるという意識があるかどうか、がコミュニケーションの差のように思えてきました。

「こんなことで相手の時間を奪うと感じるなんて」というコメントが若い方からいくつかありました。それはぼくも学生の頃はそう思っていたかもしれません。しかし社会人は多忙です。他にも色々なことを処理しなきゃならないときに、細かなラリーは時間を取られます。そのことは学生も知ってほしいなと思いました。

そのうえで、相手の状況に合わせて、必要に応じてコミュニケーション手段を使い分ければいいのかな。それが現段階での自分の理解です。でもまだまだ、他の要素も複雑に込み入ってそうな気もするので、ハッキリとした結論は言えません。このnoteを書き始めた当初は、「若者のチャット文化」VS「大人のメール文化」なのかなと思っていましたが、問題はそんなに単純化できないと感じました。

Twitter等でいただいた皆様からのコメントが非常に勉強になります。賛否両論ありますし、ぼくの考え方や書き方、対応の仕方にも至らない点が多々あるかと思います。反省点は多いです。引き続き、自身もアップデートを図っていきます。

続きのnoteです↓



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中村洋太
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