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突然のテレビ出演と、NHKからの取材

まさか、一週間前のツイートとnoteから、こんな展開になるとは思ってもいなかった。ぼくはテレビ朝日のニュース番組に出て、さらにNHKからも取材を受けることになった。嵐のような一週間を振り返り、今感じていることを記録として残しておく。

最初のきっかけは、8月26日(金)の何気ないツイートだった。今では「1.6万いいね」もついているが、はじめはバズる気配すらなかった。

しかし、普段のツイートよりかはいくらか反応が良かったので、「もしかしたら多くの人が同じモヤモヤを抱えていたのかもな〜」と感じた。もう少しちゃんと深掘りしたいと思い、翌8月27日(土)にnoteでまとめることにした。

当初は4000文字近い長文になった。しかし、途中で横道に逸れて本題とは関係ない話を展開していたので、書き終えて読み直したときに「これだと途中で離脱されるな」と思い、1000文字くらいバッサリ削った。今となっては、それが功を奏した。「余計なことは書かない」が吉だ。

noteも最初の2日間は、何人かにシェアされる程度の反応だった。2日間で約700PV。普段の記事とさほど変わらない。それが、8月29日(月)の朝からとんでもないことになった。どうも、親子間のコミュニケーションでも「あるある」の話だったらしく、その朝はママたちにかなりシェアされていた印象。もしかしたら彼女たちがバズへ着火点だったのかもしれない。

Twitterを開くたび、通知が「20+(20件以上)」と表示される。午後に90分間のコンサルを終えてスマホを開くと、もう数百件の通知が溜まっている。様々なコメントが寄せられて、それらをすべて読むだけでも大変な作業だった。のちに佐々木俊尚さんなど様々な著名人・インフルエンサーたちがnoteをシェアしてくれ、今日までに13万PVを超えている。

大事なのは、投稿への反応だ。実感値として8〜9割が「同感」「共感」「わかる」「目から鱗」「なるほど」「モヤモヤがすっきりした」など、ポジティブなものだった。一方、1〜2割は批判的な反応で、その大半はやはり若者の意見だった(もちろん、大人でも考え方の異なる方は何人かいた)。炎上こそしなかったが、「ただ会話したいだけなのに、このLINEだけを見て『時間を奪われてる』みたいに思われると、もう連絡したくなくなる」といった意見は、心に重く刺さった。

ぼくにとって今回の発信での目的は、

・コミュニケーションの考え方や価値観に「違い」があると伝えること
・その「違い」は、何が原因で生まれるのか、読者と一緒に考えること
・対立を深めるのではなく、対立が解消する方向に持っていきたいこと

だった。特に最後が重要で、あくまでnoteでの発信は、今後のコミュニケーションがより円滑になることを目的としている。社会への問題提起であると同時に、解決へ向かうスタート地点にもしたかった。だからこそ、まずはぼく自身が広く意見を聞いて、そういう考え方もあるんだなあと理解し、「次からはこういう風に考えよう」「今度同じようなLINEがきたら、こう返すようにしよう」という方針を自分の中で立てられたらいいと思った。そういう気持ちだったので、180度考え方が異なる意見にも真正面から向き合った。反対意見の書かれたツイートやnoteをリツイートすることもあった。当然、それはなかなか精神的にキツいことだった。「結局、ぼくはあのLINEをもらったとき、どう考えたら良かったんだろう」と真剣に悩み、その夜から数日は、ベッドに入っても2〜3時間は寝付けくなった。

8月30日(火)には、テレビ朝日から取材依頼が入った。自分のツイートが、それほどまでに注目されているのかとビックリした。本文で使った「チャット文化」という言葉が軽く流行になり、ツイートとnoteはSNS上で議論を巻き起こしていた。「わかるわ〜」という言葉とともに、実体験を語る方も多く現れた。

8月31日(水)朝、テレビ朝日「グッド!モーニング」に出演した。

ぼくの話題に関しては3分程度の放送だったが、街頭インタビューなども加わり、わかりやすい内容にまとまっていた。

そしてこの放送が終わると、今度はNHKから取材依頼が入った。そして当日のうちに取材に応じた。

noteを書いた時点と、書いてから数日経った頃(様々な意見を吸収した後)とでは、ぼくのなかで問題への捉え方に変化が生じていた。反省点もあった。そのことに素直に向き合おうと思う。

たとえば、noteを書いた時点では、これは「若者のチャット文化VS大人のメール文化」の二項対立だと思っていた。しかし、条件の不足した短文での質問を送る人は大人でも多い、ということが人々の反応からわかってきた。言われてみれば、ぼくの周囲にもそういう人はいた。「フランスへ行くのでおすすめ教えて」とだけ聞いてくる同世代。どこの街に行くのかがわからない。条件が広すぎる。「南仏のニースは良いよ」「いや、今回行くのはパリだけなんだ」。それを先に言ってくれ。そもそも、観光スポットなのか食なのかホテルなのか、何の「おすすめ」が欲しいのかハッキリしない。そういうことがあったのを思い出した。だから納得できた。このような質問はLINEネイティブな若者に多い傾向はあるものの、世代を問わない問題であると理解した。

「それだけでは回答しづらい質問」は、回答する側への配慮が欠けている。相手の立場に立って考える想像力が欠けている。だから、こういうメッセージを送ってくる人は、相手へのリスペクトがないのだろう、と当初は思っていた。しかし、これに関しても「それは違うんじゃない?」という意見が大人からあり、考え直すこととなった。曰く、「リスペクトがなかったら、最初から相談をしないだろう」と。まあ確かに、それはそうかも、と思った。頼りにはされていたのかもしれない。例に挙げた学生は、本当に悪気なく、普段友達に送る感じで、ぼくにLINEを送ったんだろう。「中村さんなら詳しいだろう」という期待はあったはずだ。その意味では「リスペクト」と呼べなくもない。だけどやっぱり、配慮はないよな、と今でも思う。チャットボットでもないのに、なぜこちらが丁寧に質問を返さないといけない? 学生だから仕方ないのかもしれないけど、社会に出たら絶対突っ込まれる。

「どうせ聞かれる条件」を「聞かれるまで伏せておく」って、情報を引き出したい側にとっては全然有利な打ち手じゃないはずだ。回答に必要な情報は先に教えてもらえた方がこちらから質問する手間が省けるし、そのような配慮を感じられる相手の方が、親身に相談に乗りたくなるのが人間の本質だろう。

昨夜、NHKニュースの特集記事として掲載された。専門家の意見を交えた、力の入った記事になっている。

今だから考えられる、ぼくが「ワーホリ行くならどこの国がおすすめですか?」というLINEをもらったときのいちばんマシな対応は、「この子は会話を通して結論につなげていきたいタイプの子だ、と理解したうえで、悩まずにあっさりと『条件があればまとめて教えて?』と短文で返すことだった」だろう。悩まずにあっさりと、というのがポイントである。そうしたら本人も、待ってましたとばかりに「英語圏でかつ、生活費が安く抑えられるところがよいです!」と教えてくれただろう。そして何度かのラリーで、ぼくがさほどストレスを感じることなく、やりとりを済ませられた。ぼくが当時ストレスを感じたのは、「ラリーでやりとりしたい」という本人の思惑に全く気付けなかったからだ。だから「なんて雑な質問なんだ、失礼な奴だな」と感情的に反応するとともに、あれこれと悩んでしまった。けれど今後はより良い対応を考えられるはずだから、やっぱりコミュニケーションの違いを理解すること、そしてそれを免疫として持っておくことの差は大きいと感じる。書いて良かった。学びになったし、成長につながった。

最後に。こうしたバズというのは、狙ってできるものではない。だけど少なくとも、何も書かなければバズることはなかった。シュートを打たなければゴールが生まれることはないのと同様に。

やっぱり文章って面白い。ブログやnoteって面白い。書いて発信すると、人が共感してくれたり、コメントしてくれたり、さらには思わぬ出来事まで起きたりする。「書かなければ起き得なかった体験」を味わうのが書くことの醍醐味だと思う。それを改めて実感した。

後日、NHK「おはよう日本」にも出演しました。ツイートやnoteに反応してくださった皆様、ありがとうございました!

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