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ぼくが歴史を学ぶ理由

友人との会話のなかで、自分が「どうして歴史を学んでいるのか」を、ふと言語化できた瞬間があったので、忘れないようにメモしておきます。

ぼくは昨年初めて『三国志』を読んだときに、人間って今も昔も何も変わらないんだな、と感じました。集団になるとどういう人間が出てくるか、どんな性格の人が慕われるか、他人への嫉妬や恨み、人を動かす態度や行動がどんなものか、・・・。

最近読んだ本によると、テクノロジーは年々進化しているけど、人間の脳みそ自体は、生物学的には1万年くらいほとんど進化していないそうなのです。

ギリシア時代のプラトンやアリストテレス、ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチなどのように、歴史上にはたくさんの賢い人が存在しましたが、現代に彼らに匹敵するほどの人物はもしかしたらいないかもしれない。

これに関してAPU(立命館アジア太平洋大学)学長の出口治明さんは面白いことを言っていました。

「要するに昔も今も、脳みそは同じなのです。人間の脳みそが同じだとしたら、賢い人が生まれるのは偶然ですよね。ウサイン・ボルトが生まれるのも偶然だと思いますが、めちゃくちゃ賢い人がこの1万年の間のどこにいつ頃生まれるかはアット・ランダムで、そんなものはわからない。こう考えたら、すごい人が昔生まれた理由も簡単に説明できます」

この話は、歴史に価値があることのひとつの裏付けになると思います。現代の偉人の本を読むのももちろん価値があるけど、歴史上の偉人にまつわる本を読むことにもやはり素晴らしい価値がある。

長く読まれ継がれてきた本には、それだけの価値があります。

また、ぼくは今後数年で、日本人は既存のルールや価値観がガラッと変わるような経験をするだろう、となんとなく予想しています。今必死に取り組んでいるものが急に無価値になる可能性もあるし、常識だったことが非常識になる可能性もある。変化のスピードが速く、かつ激しい。

今この瞬間に価値があるものだけを追い続けていると、どこかのタイミングで大転換が起こったときに、全くついていけなくなるかもしれない。それは怖い。

だからこそ、古典や歴史のように人間の本質に関わっていて、即効性はないかもしれないけどこの先もずっと価値があり続けるものを多く吸収したいなと思っています。その知識は応用が効くし、変化の激しい時代においては強い武器になるでしょう。

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