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世界1周中(1年間22ヶ国38都市)にフト文章書き始めたらできた処女小説「ヨートピア」4/44


体内に怪獣が居る。こいつの顔も姿形も見たことがない。しかし確実に動いている、そこに居るのだ。こいつがいい奴なのか悪い奴なのかもわからない。でも動いている。時たま顔を出すのだ。時に文字の中に現れる。時に絵の中に現れる。時に粘土の中に現れる。時に匂いの中に現れる。時に顔に現れる。至る所に姿形を変えて現れる。いつかはこいつの都合次第。俺はいつも受け身だ。みんなの中にも居るのだろうか。確かにたまに怪獣みたいなメイクをしている人が街中で歩いているのを見かけた時がある。あれは怪獣になりたいのか、それとも怪獣が憑依しているのだろうか。俺は怪獣を殺そうとは思わない。むしろ怪獣と手をつないで生きていく方法を模索している。確かに怪獣に全て乗っ取られてしまったら俺はキチガイ扱いされ精神病院行きだろう。つまりうまくつきあう必要があるのだ。出てこなくちゃいけない時に出てきて、出なくていい時は引っ込む。俺は、なにかを作っている時は、出てきてもいいという許可書を発行している。それでもたまにこいつは寝てる時があってこちらが門を開けているので、出てこない時もあるから、難しいものだ。世の中そんなに想い通りにいかないものである。出てきたと思ったら、自分でも後で振り返って、こんなもの作ったっけ?と不思議に思うほどのものが出てきていたりするものだ。ちょうど半分半分でいけないものだろうか。そして社会人として社会の中に出ている時は外出禁止書を発行している。しかしこれも最近かわいそうだなと思ってきた。むしろ怪獣をしまいこんでお面をかぶって人と会って話してる方が、般若なんじゃないかと思うくらいだ。実はみんなお金が欲しい、自分が得する話が欲しい、夜になったら赤ちゃんになる、みんな武装しているだけで根本は同じ怪獣で、粒子じゃないか。武装は全部うそぴょーんと言えない世界があるらしい。その世界が世界を動かしているらしい。嘘が世界を動かすという嘘のような本当の話があるらしい。システム、ルール、常識、脳みそ粒子ちゃんたちが作った幻想、幻影が人間を動かしているらしい。じゃあこの怪獣も幻影だろう。でもこいつだけは実感があるのだ。温度があるのだ。リズムがあるのだ。舞があるのだ。全身で感じたものはさすがに幻影とは言えずに信用してもよかろう。それ以外のリアルはなかろう。いやもともとリアルなんてものも存在しない、目の前の空間、全てがリアルであり、時空をこえた、すべてがリアルであり、リアル空間の糸の中を血流のように流れて体験しているだけなのかもしれない。俺は飛行機に乗っている。地上の街の道の光が地球の血流に見えた。赤くない、黄色の輝きを放つ血。地球は光ってる。地球をちょっと傷つけると、血が噴き出すように、黄色の血が噴き出しそうなくらい光が溢れている。所々真っ暗の所もある。血流がよくないのだろうか、いや黒の中をズームしてみると、黒い血が脈々と流れていた。静かに確実にドクドクどく、ぐんぐんぐん、と揺れ、はためき、リズムにあわせて動いている。心地が良い。美味しそうだ。少しテイスティングさせてもらったら花園の景色が現れた。これもリアルなのか。よくあの世に行く前の景色だと聞くがこれがそうなのか。だとすれば俺は今から死ぬのか。飛行機が墜落して死ぬのか。それもリアルなのか。そもそもリアルってなんだ。俺が知覚したもの、スズメが知覚したもの、違うはずだが同じリアル。リアルという巨大空間を作るために俺たちがいて、その空間を少しずつみんなで作っているのか。そうかそれなら理解できる。じゃあリアルはなくて制作途中ということか。いつ完成するんだ。完成しないのか。完成したものが神かなんかか。そこにたどり着くために俺たちはイノチせっせとドックドックさせて血流流して動かして、動いて生きてんのか。それは俺にとっていいことなのか。楽しいのか。くだらんことなのか。俺にはわからん。わからんが、象さんは知っているそうだ。じいちゃんの顔のシワをした象さんは、ゆっくり俺に語りかける「生きぬいてみろ、そうすりゃわかるさ」。

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