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映画『Passing 白い黒人』について

ぼやけたモノクロスタンダードの画面の中から、歩道を行き交う人々の足元が徐々に浮かび上がってくる。やがてカメラは二人連れの婦人の足元をとらえ、その行先を追いかける。しかしようやく姿が見えたその二人連れの白人女性はただの買物客に過ぎず、そのうちの一人が落としたゴリウォーグ(黒人の人形)を身をかがめて拾った女性こそ、この物語の主人公アイリーン(テッサ・トンプソン)である。

ラストにつながる〈落下〉のモチーフは、巻頭のこの技巧的なシーンに早くも描き込まれている。アイリーンは、別の場面では自宅のバルコニーから植木鉢を過って落とし、また別の場面ではティーポットを床に落として割る。また、火のついたタバコを窓から投げ捨てる。しかし画面にはじめて登場するこの場面では、地面に落ちた黒人の人形を拾い上げている。

この日、アイリーンは消息の途絶えていた同級生のクレア(ルース・ネッガ)と12年振りに再会する。肌の色が白いクレアは自分が黒人の血を引くことを隠して白人男性と結婚し、裕福に暮らしていた。しかしクレアは、〈パッシング=黒人が白人になりすますこと〉を続けながら人種的偏見をもつ夫と暮らしていくことに孤独感を募らせており、アイリーンとの交友の復活を熱望する。

I wouldn’t  feel this wild desire if I hadn’t seen you
あなたに出会いさえしなければ、こんなに苦しく思い焦がれこともなかったのに

クレアがアイリーンに書き送った手紙は熱烈なラブレターそのものだ。アイリーンが返事を出さないでいると、アイリーンの家に押しかけて彼女をなじる。頑ななアイリーンも美しいクレアの魅力に抗しきれず、ついに陥落してしまう。ダンスパーティーでは、愛しさのあまり思わずクレアの手を握る。アイリーンとクレアの間には、ただの友情以上の感情が通い合っている。

パッシングとは人種のなりすましに限った行為ではない。自分のセクシャリティを封じて、ヘテロノーマリティ(異性愛規範)にしたがって生きていくこともパッシングである。アイリーンは白人男性の友人ヒュー・ウェントワースに言う。

I just mean we're all of us passing for something or other, aren't we?
人は誰でも何かになりすましているんじゃないかしら?

とはいえ、アイリーンがクレアに対して抱く感情は愛情だけではない。欲しいものは躊躇なく奪うクレアのモラルの欠如は、アイリーンを不安にさせる。息子たちはクレアに懐いており、夫のブライアンもクレアを気に入っている様子で、アイリーンは自分の居場所が脅かされていると感じるようになる。寝室の天井に走るひび割れが次第に大きくなっていく。それはアイリーン自身の転落の予兆である。

アイリーンが何より大切にしているのは〈安全〉である。夫との関係は冷え切っているものの、彼女は現在の生活を手放すつもりはない。しかしクレアをこれ以上自分の家族に近づけることは、それを危険にさらすことになりかねない。かたやクレアへの欲望にしたがうことも、〈安全〉を犠牲にしないでは済まない行為である。いずれにしろ、クレアは遠ざけなければならない存在だ。

自宅で開いたティーパーティーで、アイリーンはティーポットを床に落として割ってしまう(このとき、うしろから来たヒューに押されたかのようによろけている)。彼女は、ティーポットを落とした言い訳をこう述べている。

I've never figured out how to getting rid of it till just this minute. Inspiration! I had only to break it and I was free of it forever.
(ティーポットを)どうしたら手放すことができるか長年考えていたのだけれど、やっとひらめいたわ。壊してしまえば楽になるのだと。

クレアの転落は事故なのか自殺なのか、それともアイリーンかジョンが押したのか、判然とは描かれない。現場の警官が最後に言う。

Death by misadventure, I'm inclined to believe.
不慮の事故死だと信じたいね

もしアイリーンが押したのだとしたら、彼女の新たなパッシングがはじまったことになる。

原作について

レベッカ・ホールの初監督映画『Passing 白い黒人』(2021)は、ネラ・ラーセンが1929年に発表した中編小説『パッシング』を映画化したものです。ラーセンが小説家として活躍した1920年代には、ニューヨークのハーレムを拠点に、黒人を主体とする新たな文学・音楽・美術の運動がおこりました。この運動は現在ではハーレム・ルネサンスと呼ばれています。ネラ・ラーセンはハーレム・ルネサンスを代表する作家のひとりであり、小説『パッシング』も同時期のハーレムを舞台としています。

ネラ・ラーセンはデンマーク出身の白人の母と、西インド諸島出身の黒人の父との間に生まれました。両親は幼い頃離婚し、その後母親が白人男性と再婚したため、白人家庭で育てられました。彼女の出自は作品にも影響しており、小説『パッシング』もパッシング自体の是非を問うというより、パッシングを余儀なくする境界自体のあいまいさや、パッシングする人間のアイデンティティの揺らぎに焦点をあてたものになっています。監督のレベッカ・ホールは、母方の祖父が黒人の血をひいていたことを知ってこの小説の映画化を構想したそうです。ネラ・ラーセンに自身を重ねたのかもしれません。

ラーセンは長らく忘れられた作家でしたが、近年になって再評価がすすみました。その背景としては、アリス・ウォーカー、トニ・モリソンといったラーセンの影響を受けた黒人女性作家が登場したことに加え、作品に潜むホモセクシュアリティに関する分析が注目を集めたことも見逃せません。『パッシング』については、とくにアイリーンとクレアの間に同性愛的関係が見いだされることが1980年代に指摘され、現在ではほぼ通説となっています。さらにジェンダー研究の分野では、ジュディス・バトラーが人種とセクシュアリティの関わりに関する議論のなかでラーセンの『パッシング』を取り上げ、詳しい分析を行っています。

なお、映画はクレアの転落の原因をわざとあいまいに描いていますが、これは原作小説に忠実な描写です。


Passing 白い黒人
2021年/アメリカ/99分
監督・脚本:レベッカ・ホール
原作:ネラ・ラーセン

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