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3115は希望の番号 映画『LAMB/ラム』について

自分の産んだ子を人間に取り上げられた雌羊が、寝室の窓の外でしきりに鳴いて、マリア(ノオミ・ラパス)をわずらわせます。その雌羊の耳には「3115」という番号札が付いています。

映画をみたあと調べたのですが、この番号は旧約聖書のエレミヤ書31章15節を指すのであるらしい。劇中にわざわざ提示されているヒントですから、無視することはできません。今回はこの件について考えてみたいと思います。

ラケル=雌の羊

さて、エレミヤ書31章15節はこんな内容です。

ラマで声が聞こえる、苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから。

エレミヤ31:15

「エレミヤ書」というのは、エレミヤという預言者の言葉を記録したものです。ラケルというのは創世記に出てくる女性で、ヤコブの妻です。ヤコブはユダヤ人の開祖で、彼の12人の息子はイスラエル十二部族のそれぞれの長になりました。ラケルはそのうちの2人、ヨセフとベニヤミンの母ですが、ベニヤミンを産んで間もなく亡くなります。ラマというはそのベニヤミン部族の街で、ラケルの墓があったとも言われます。

時代はくだって、預言者エレミヤの生きていた時代、ユダヤ人の国はすでにイスラエル王国とユダ王国に分裂していました。しかし北のイスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ、南のユダ王国も前6世紀前半に新バビロニアに征服されます。このとき、ユダヤ人たちはラマに集められ、バビロンに連行されます(バビロン捕囚)。このときの出来事を語っているのが31章の15節です。ラケルはイスラエル民族の開祖として、子孫がバビロンに連れ去られていくのを嘆いているわけです。

そういうわけで、羊の耳についている「3115」という番号札は、人間に子供を奪われた母羊の嘆きを、このラケルの嘆きに重ねたもの、と考えることができると思います。ちなみにラケル(Rachel)は英語読みでレイチェル、意味は「雌の羊」です。

ラケル=マリア

ラケルの悲痛な嘆きに、神はどう応えたのか。31章15節の続きはこうなっています。

主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る

エレミヤ31:16-17

エレミヤによれば、どんなに慰めようのない悲しみにも、未来への希望はある。そんな風に断言できるのは、さすが宗教だなあと思いますが、エレミヤは悲しみの底にある人に、希望をもって生き続けることを説きます。そんな彼のことを「悲しみの応援団長」と呼ぶのは私だけでしょうか。

そして、エレミヤ書31章のここまでを含めて考えると、これらの預言は3115番の羊だけでなく、マリア(ノオミ・ラパス)にも当てはまることに気づきます。マリアとイングヴァルも、何年か前に幼い娘を失くしていたのでした。静かな悲しみのなかで暮らしていた二人にとって、羊から生まれた子供の誕生はまさに我が子の帰還だった。預言は成就したのです。彼らはその子供を亡くなった娘と同じアダと名づけます。

ところで、エレミヤ書31章15節がよく知られているのは、新約聖書の中に、この一節を引用した箇所があるからだと思います。ヘロデ王は幼子イエスを殺そうとして、ベツレヘム一帯の子供たちを皆殺しにします。イエスは間一髪エジプトに逃れたので無事でしたが、マタイ福音書はこの悲劇をエレミヤ書のラケルの嘆きに重ねています。

その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」

マタイ福音書2:16-18

マタイがこの悲惨な出来事を預言の成就というのはなぜでしょうか? 私はキリスト教の信者ではないので好き勝手に解釈してしまいますが、ラケルの嘆きに希望があるように、どんなに暴力的な権力に対しても未来への希望を失ってはいけないと言っているように思います。残念なことに現代においてもラケルの悲嘆は世界中に尽きることがありません。しかしあきらめたらそこで試合終了なのです。そんなマタイのことを「悲しみの安西先生」と呼ぶのは私だけでしょうか。

母親の悲嘆と希望

話を元に戻すと、マリアとイングヴァルは、アダの帰還によって以前の幸福を取り戻し、おそらく娘の死以来途絶えていたであろうセックスをします。イングヴァルの弟ペートゥルは彼らの幸福を脅かしかねない存在でしたが、マリアは体よくペートゥルを楽園から追放します。

しかし、マリアが出掛けている間にアダの本当の父親である羊人間が姿を現し、イングヴァルを殺してアダを連れ去ってしまいます。羊人間は、ラケルの息子たちを連れ去ったバビロニアの兵士、あるいはベツレヘムの幼児を虐殺したヘロデ王の化身です(もちろんほかの解釈もできますが、ここではあくまでも3115を中心に考えています)。

夫とアダを同時に失ったマリアを激しい悲嘆が襲います。しかし、この出来事もまた預言の成就ではないでしょうか。だとすれば、彼女は未来への希望を失いません。彼女の胎内には新しい命が宿っている。ラストショットのマリアの表情は、そんな可能性を感じさせるものだったように思います。

ところで、ついに姿を現した羊人間がクリント・イーストウッドそっくりに見えたのはやっぱり私だけでしょうか。

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