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映画『コット、はじまりの夏』について
豊穣の女神デーメーテールの娘ペルセポーネーは、野原で遊んでいたところを冥界の王ハーデースに見初められ、地下深くにある冥界に連れ去られます。母デーメーテールは嘆き悲しみ、地上には作物が育たなくなってしまいます。事態を重く見たゼウスはハーデースにペルセポーネーを返すよう交渉しますが、いちど冥界の食物を口にしてしまったものは二度と地上に戻れません。ペルセポーネーは冥界にあった12粒のザクロの実のうち、6粒を食べてしまっていました。以後、ペルセポーネーは1年のうち6か月を冥界で過ごし、残りの6か月を地上で過ごすようになりました。
ギリシャ神話のペルセポーネーが、冬の間は地下に埋もれ、春になると芽を出す植物の種子を神格化したものであることは言うまでもありませんが、この神話はまた、少女が大人の女性へと成長する寓話としてもよく知られています。ペルセポーネーはもともと「乙女」「若い娘」という意味のコレー(Kore)と呼ばれていました。ペルセポーネーは、冥界でハーデースの妻となった後の呼び名です。
母の出産のため、ひと夏のあいだ親戚の家に預けられる少女の物語は、明らかにコレー=ペルセポーネーの神話をもとにしています。映画は、野原の草むらに埋もれて眠るコットを、母親が探す場面からはじまります。コットはその後も何度か姿を隠して、大人たちを心配させます。
季節は夏ですが、あまり裕福そうにみえない家は寒々しく、コットはギャンブル好きの父親や冷ややかな姉たちに囲まれ、真冬のように縮こまって暮らしています。一方、コットを預かることになったアイリーンとショーンの家は清潔で、家の中に差し込む日差しも暖かです。しかし、コットのほかに子どものいない家はぎこちない静けさに包まれており、その静けさは死によってもたらされたものであったことがやがて明らかになります。アイリーンは我が子を失くしたデーメーテールであると同時に、地上に戻ることをあきらめたペルセポーネーでもあるのでしょう。家の近くにある井戸は冥界への通路ではないでしょうか。
コットが近所の家の通夜に参列し、はじめて死に触れる場面は、キャサリン・マンスフィールドの短編「園遊会」を連想させますが、この短編もまたペルセポーネー神話をもとにしています。
ひと夏のあいだアイリーンとショーンとの絆を育んだコットですが、やがて自分の家に帰らなければならない日がやってきます。そこは騒々しく、ときに悪意に満ちた厳しい現実の世界です。それでも、この世界で彼女は生きていかなければならないのです。
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