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突然死んでしまうかもしれない世界はプライスレス

Twitterを眺めていたら、BUCK-TICK櫻井氏の訃報が流れてきて驚いた。ライブ中に体調不良を起こして搬送されたことはうっすら知っていたが、まさか亡くなってしまうとは…。この急展開は、本人のみならず、親しくしていた周りにも方々にとっても、大変酷だなと思う。

この手の突然に訃報に触れるたび、明日は我が身であることを感じずにはいられない。いくら健康を意識していても、心臓や脳に異常が発生したらどうしようもない。そして親しい友人も40を過ぎれば普通にメタボが気になる体型になってくるし、実際血圧や内臓に問題が見つかったという話も少なくない。

「ひょっとしたら今日が最後かもしれないな」

毎日顔を合わせる家族ならまだしも、年に一度会えばいいほうの関係になった友人には、もうそのくらいの意識で会うのが吉なんじゃないかと思ってきた。

「あの時は元気だったのに」「お変わりなかったのに」。

訃報に際して親しい方々のテンプレートのようなセリフに、この世の無慈悲なリアリズムが透けて見える。人との関係性の強弱はある程度コントロールできるにせよ、「本当の別れ」に対してはいつも無力だ。

毎日が永遠に続くように思えた若い頃に比べれば、この有限性の実感は切ない限りだが、その分生きていることや、親しい人に会えることの価値は爆上がりなわけで、悪いことではないのかもしれない。「生きているだけで儲けもん」と誰かがいっていたような気がするが、その儲けの価値は、年齢と比例するように上がっていく。

「今日が最後かもしれないな」と思いつつ時間を楽しみ、

「あの日が最後ではなかった」安堵と喜びを噛み締めつつ再会する。

人生の味わいはこれからが本番なのかもしれん。


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