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僕らが仙人を目指したほうがいい理由

6月19日(土)晴れ

Twitterに仙人がいた。

皆さんご存知だと思うけど、ニュースキャスターをやめ、ボートで太平洋横断に挑戦した辛坊治郎さんだ。

無事にアメリカ西海岸にたどり着いたらしく、大きなニュースになっていたけれども、僕的にはゴール直前に撮った辛坊さんの自撮りが、あまりにも「仙人」なのでビックリしてしまった次第。

こけた頬にのびたヒゲ、表情からは俗っぽさが抜け、眼差しからは何か悟ったような強さすら感じる。これが孤独に自然と向き合い続け、死と隣り合わせの環境を乗り越えた男の表情なのだろうか。

仙人というキャラがいるのではなく、人間は人里離れるとビジュアル的に仙人化していくのだなと辛坊さんを見て思った。

田中一村という仙人

これを見て思い出す画家がいる。
田中一村だ。

描きたい絵のために当時の画壇とたもとを分かち、奄美の島に渡って掘立小屋のような家で絵を描き続けた、文字通り「孤高の画家」なんだけれども、彼の顔もまた仙人だった。

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彼の鮮やかな南国の絵のみならず、彼の生き様からくる表情や佇まいにシンパシーを感じているのは僕だけではないだろう。

「目は口ほどにものをいう」といわれるが、目とは「何を見ているか」、または「何を見ようとしているか」まで如実に表すのだなと、老人なのに若者のような目をしている一村を見て思ったりしていた。

目指せハイブリッド仙人

僕はそんな活力のある表情を失わないためには、一定期間、人里を離れる必要があるのではないかと感じている。社会という枠組みや基準から距離を置き、自分の世界に没頭できるような環境を作るのだ。

わざわざ山にこもるとか、ボートで太平洋横断するような必要はなく、自分に集中できるなら、そここそが「人里離れた場所」だろう。

外部からの要請や基準にしたがう必要がない代わりに、行為の結果は全て自分に返ってくる。その緊張感が表情を野性に戻し、仙人的なしまった表情を作っていくのではなかろうか。

とはいえ、社会から解脱して完全に仙人として生きるのは無理な話だし、一方死ぬまで社会の歯車として生きるのも不健全だ。ゆえに最近話題の渋沢栄一氏が唱えた「士魂商才」的な発想で、社会人と仙人の世界をハイブリッドに横断して生きるのがいいだろう。

折しも世の中はリモートワークが推奨され、副業が一般的になるなど、社会に完全にコミットすることを求められない風潮になってきたので、今こそ現代人は人里を離れるべき時だろう。今や山奥からでも仕事ができる時代である。ハイブリッド仙人として、野生を取り戻しにいくのだ。

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