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批評:『アメリカズ スウィートハート ダラス・カウボーイズ・チアリーダーズ』、NETFLIX、2024年

世界で最も人気があるプロスポーツチーム、NFL「ダラス・カウボーイズ」世界で最もプレステージがあるチアリーダーズ・チーム」に1シーズン密着したドキュメンタリーだ(NFLに馴染みのない方には、エピソード6から見るといいと思う。チームが何をやってるか、よく分かる)

ダラス・カウボーイズは、「アメリカズ・チーム」と呼ばれ、全米放送となると、3000万人もの視聴者を集める、アメリカのスポーツで最もファンが多いチームである。また、そのチアリーダーズチームも、その魅力の一つとなっている。

さて、本ドキュメンタリーを見て感じたのは、"tradition"と"comradery"だ。日本語では、「伝統」と「友愛」と訳せば良いのか。

まず、メンバーの選考から描かれるが、驚くのは、ベテランでも新人と同じく、一からチームに入るテストを受けなければならないということである。(ここに、アメリカでよく言われるチアリーダーズの給料の少なさを正当化できる、論拠がある。常に新人と同じ給料を支払っていれば、良いのだ。)

また、ここに描かれているのは、プロスポーツが持つ、過酷な競争社会である。「チーム」が全てで、言葉は悪いが「メンバー」は入れ替え可能なものである、ということである。

これを私自身に当てはめて、考えてみると、プロスポーツチームのファンであるということは、暗黙に、「選手」は来て去るもの、すなわち、入れ替え可能なものと了解しているのではないだろうか。

「メンバー」は入れ替え可能ではある。しかし、ファンは「伝統」や「歴史」、「レジェンド」を忘れない。私は、Vissel神戸のファンであるが、「例えば、「アンドレス・イニエスタの時代」というように。

「伝統」や「歴史」は入れ替え可能なものではない。カウボーイズのチアリーダーズの歴史は、1970年代に始まる。それ以来、チアリーダーズのユニフォームのデザインは変わっていない。これが、「伝統」や「歴史」である。それらを彼女らに文字通りまとわすのである。

次に、"comradery"、「友愛」である。これは、チームを作る上で最も重要な概念である。

話は飛ぶが、クリント・イーストウッド監督の映画を見てほしい、見たことがない方は、『硫黄島2部作』を見ていただきたい。
暗い映画なので、見たくない人は、『グランドトリノ』という傑作を見ていただきたい。

イーストウッドの「問い」は、いつもシンプルである。人は、「何のために戦うのか」、ということである。彼の映画を見れば分かるが、それは「国」でも、「愛する人」でもなく、「友愛」である、隣にいる「相棒」のために戦うのである。これは、刑事ドラマでも見られることであるが、「相棒」を失ったとき、その人は「変性」するのである。

このドキュメンタリーでも、「友愛」を築かすために、長期の「キャンプ」を張り、そのプロセスで、人を落としていく。このような「困難」をチーム全体に与え、メンバー同士に「友愛」を築かせるのが、「キャンプ」の意味合いである。すなわち、「戦友」となってもらうのである。

「伝統」と「友愛」は、あらゆるチームスポーツでは、「必須」である。考えてみてほしい。年俸を数億円の単位でもらっているプロスポーツ選手に、限界まで力を出させるには、お金だけでは足りないのだ。

以上が、私の雑感であるが、もちろん「スポーツとセクシュアリティー」、「スポーツとエロス」(これは、古代ギリシアから考えられてきた)、の問題もあるが、それについては、あまりにも大きなテーマであるので、ここでは考察の対象として、あえて踏み込まないでおく。


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