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金メダリストに1億円払いますか。ー「お金」と「五輪」①

遅ればせながら、「お金」と「五輪」について書かせてもらう。

この連載での問題意識は、もし、あなたが「商業主義化」する五輪にいささかの反発をいだいているとしたら、次の問いにどのように答えるだろうか。これである。

1.IOC会長に報酬1億円払うか。
2.金メダリストに賞金1億円払うか。

(これは、排反する問題ではなく、両立可能であるが、思考実験として提起させてもらう。)

わたしは、「2.金メダリストに賞金1億円を払う」を選ぶ。

人は、「アマチュアリズム」を「オリンピック」に求める。これが、何をもたらしているのか、という考察をしたい。

商品「スポーツコンテンツ」(あえて商品、「コンテンツ」と呼ばせてもらう)を作り出すのは、誰であろうか。もちろん、「選手」である。ならば当然、「選手」は、その「コンテンツ」の売り手であり、正当な利益の分配を受ける権利がある

もちろん「選手」は、個人スポンサー料等で稼いでいるのは事実であるが、ここでは、それらは一回かっこにいれ、純粋に自らが作りだす商品から正当な利益をもらっているかという単純な問いを提起したい。

例えばではあるが、「陸上100mの、金メダリストには1億円の賞金を支払うべきである」と私が言ったとき、皆様はどう思うであろうか。
オリンピック最強のコンテンツである、世界で一番速い男・女は誰か、100m走は、余裕で1億円以上の放映権料を稼いでいるだろう。
(このことは、経済学的には、100mがない場合の放映権料と100mがある場合の放映権料の差として、考えていただければ、良い。)

この放映権料1億円以上をどのように分配するかがここでの問題である。
なぜなら、IOCは、メダルだけで「賞金」を選手に支払う必要はない。
「アマチュアリズム」を貫くならば、この1億円以上のお金は宙に浮かんでおり、誰かが取るであろう。もちろん、IOCは取るであろう。
「濡れ手にあわ」である。

それならば、「選手」が受け取った方がまし、であるというのが私の意見である。

過度にオリンピックに「アマチュアリズム」を押し付けることで、選手に、正当な報酬が支払われない事態が生じているのである。
そのため、IOCやJOCの周りには、わけが分からないお金がフローしており、汚職が起こっているのである。

いささか、乱暴な議論であるが、一つの視座として、ここに「アマチュアリズム」の限界と「五輪」という問題を示させてもらう。

私が、このような問題意識に至ったのは、近年、「革命」が起こったアメリカのカレッジスポーツの考察からである。

次回は、これを紹介したいと思う。


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