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日本人は無宗教なのか。

こんばんは、今日は日本人は無宗教なのか。について書いていきます。

海外では、キリスト今日やイスラム教、ヒンドゥー教やユダヤ教など

様々な宗教があります。

偶像崇拝をしたりしなかったり、食べ物に制限があったり、

一日何回か、週に何回かお祈りをしたり、宗教が絡んだ休日があったりと

宗教によって様々な特色を見せています。

日本では、なんといっても正月が宗教絡みの一大イベントと

言っていいでしょう。

正月には神社仏閣にお参りに行く人がたくさんいますし、

お盆にはお墓を掃除したりと何気に宗教絡みの日がたくさんあります。

海外の宗教と比較すると必ず日本人が言うのが、

「日本は生活の中に宗教が深く根付きすぎていて、

いちいち意識することはない」や、

「日本人の神の数は八百万だから、いろんなところに神様がいるんだ」

などなど、、、

キリスト教ではイエスの教えによってキリストを崇拝しますし、

イスラム教では預言者ムハンマドがアッラーから授かった教えを

人々に伝道して広まってきた。

彼らの共通点は唯一絶対の神が一人いることであり、

神教えを聖書や聖典にのっとり、しっかりと毎日守っていることだろう。

一方、先に記述した通り日本人には八百万の神の考え方がある。

もの一つ一つに神が宿っているよ、という考えだ。

なんなら、キリスト教などの他宗教のイベントごとだって

しっかりと取り入れている。

まあどちらが良いか悪いかなんてことに結論はなく、

海外は一人の神を、日本人はいろんな神を信じても良いと思うが、

ここに信念の差ができることに私は注目した。

キリスト教を例にとると、キリスト教信者はどんな時でも天命を

神に授かるものとして行動できるという。

例えば何か自分の人生の大事な選択をするとき、

「どちらにせよ神は見守っていて、良い方向へと導いてくれるだろう」や

「今の境地を神はきっと救ってくださる」と言った具合だ。

キリスト教信者にとっての神の感覚は私にはわからないが、

家族のようなものなのかもしれない。

そして、そういった価値観のもとに、自己の価値観も形成されるようで

宗教を心の支えとして成長できるらしい。

一方日本人には神を信仰するといった概念は特になく、

その神社仏閣でお守りを買って、

「何か良いことがありますように」と、お守りに願いを込める。

それが決して悪いこととは思わないが、特に自分で成長しようという

気概を見せる人がいるだろうか。

お守りは買うが、他力本願な感じで、

神とともに自分を作り、心の支えとして成長するといった価値観は

持ち合わせていないだろう。

自分の信念を貫くにはまず強い自分を作り上げねばならないのだ。

キリスト教信者が神と二人三脚なら日本人は孤軍奮闘といった感じ

だろうか。

いずれにせよ、神とともにある自分の信念がはっきりしていないと

海外で他宗教の人とこのような会話になったとき、顔をしかめられると

いうのは有名な話だ。

この国際的な社会で、海外と日本が混じり合っている中で日本の宗教観が

はっきりと浮いてこないというのはそういうことなのだろうか。

次回は、テストから見える回答者の像。について書こうと思います。

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