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日本を一度も出たことがなく英語も話せない大学生が3週間1人でアメリカに体操留学に行った話(完)

前回まではNBAやらアメフトやら大学見学などのプライベートの話が多かったので今回の最終章は体操のことについて多く触れていこうと思います!
中谷至希のアメリカ編ついに完結です!

植松さんから学んだマインド

今回のアメリカ留学で一番大きい学びは技のポイントなんかではなく、考え方についてでした。
当時の僕は日の丸を背負う選手になりたい、世界で活躍したいと思っていました(その思いは今も持ち続けています)。
しかし、同時にその目標が自分にとって難しいものと捉えていたのです。
僕のマインドとしては、今まで結果も出してきていないし、周りからも無理と思われているだろうけど、自分にとっては達成したい目標だし、チャレンジしたい!っていう風に捉えていたんですよね。
その思いを植松さんに伝えたら

難しい思ってるうちはそんなん達成できひん。

と言われました。ナショナル選手なんか誰でもなれる。ナショナルになるのが難しいって捉えてるうちはなれへん。なって当たり前、できるものと本当に心から自分で捉えれるかどうかや。
こう言われたのがとても僕の心に響きました。
メンタルトレーニングの人生脚本でも触れましたが、以前の例で言えば、僕はナショナル選手になるのは難しいと自分を扱っていたのです。

植松さんはユニバーシアードに選出された時か何かの時に、こんくらい当たり前や、俺は世界選手権に出るんや。って言っていたそうです。
そして日本代表としてその目標を実現されました。

今までの僕は周りが気になるタイプだし、自分のことを謙遜することが多かったです。「僕なんて〟」「まだまだです〟」など、自分を卑下するような言葉も使うことがありました。
しかし、アメリカで植松さんの話を聞いてから、それをやめました。
結果が出てない?才能がない?そんなん関係ない。結果は誰しも出すまでは無名だし、やれる努力をやり尽くしてもう打つ手がないってとこまで来ていないんだから。やれることをやりきろう、俺だってできるんだ。そう思って目標に向かって日々努力を積み重ねるようにしています。


技ができるようになって気付いてこと

最初の自己紹介のnoteでも触れましたが、体操をやってきてずっと右肩上がりに成績と実力が伸びてきて、このまま努力を重ねればいつか日の丸の夢に届くんじゃないかと思い、社会人でも競技を続けたいと模索し、徳洲会体操クラブに誘っていただける形になりました。
この徳洲会に猛アプローチをかけたのが3年の秋頃です。またその時の詳しい内容は後日まとめますね!
しかし、3年の冬に右肩のけがで思うように練習が積めず、春の全日本選手権の予選会でも落選してしまい、その後鉄棒のコバチの抜きの部分でプロテが切れてしまい、腰椎の上部を痛めてしまいました。またその後5月ごろに足首の靭帯損傷など怪我が相次ぎ、試合にも出れず、練習も思うように積めず、体操人生で初めて、何をやっても前に進んでる感覚がありませんでした。
頑張ってトレーニングや練習に取り組んでも、去年できていたことができなくなったりして、俺の伸び代ももうあまりないのかなってちょっとだけ嘆いていた時期が4年生の5〜11月でした。

しかしアメリカで植松さんに指導してもらい、1年以上持てていなかったカッシーナが海外の器具で持てたり、ゆかの三回半ひねりができるようになったり、どうしても伸ばすことのできなかった平行棒のホンマの腰折れが直ったりしました。
伸び代がないとかじゃなくて、やり方を知らんだけや。でけへんやり方でいくら頑張ってもでけへんやり方が上手くなるだけやって言われて、電撃が走ったのを覚えています。

まだまだ上手くなれる!

そう思えたことが何よりも嬉しかったです。
この時にもっと「本質を見る力を高めたい」と思いました。
何が原因でできないのか、それを見抜く力。
あれから半年以上経った今でも思います。
自分にはまだまだ足りない力で、そこをもっと高めることが僕の課題と思ってます。そのために仮説と検証も繰り返していかなければなりません。
僕的な感想ですけど、植松さんの人や本質を見る力は異常すぎるように感じた。
時には助言を求め、現状を打破すことも非常に大切だけど、自分で自分のことがしっかりと把握できなければ、一流にはならないなと感じた出来事だった。

日本と外国のスポーツの価値観

外国といってもアメリカの一つの州にしかいっていないので断言はできないが、あっちにいって感じたことはスポーツは生活の一部という感覚なのだなって感じた。
どういうことかというと、日本のスポーツをガチでやってる人は勝敗が全てというか、結果に超こだわる人や指導者が多いように感じる。それは何も悪くないし、むしろ自分もそういうタイプである。
しかし、あっちの人は楽しい生活を送るために体操をやっているという感覚に近いように感じた。無論植松さんから聞いた話によるとミクラックなどのトップ選手に行けば行くほど、日本のトップと行き着くところは一緒だといっていた。
だから海外の選手はよくサマーバケーションとかで1ヶ月くらい練習を休んだり、週末はホームパーティーに行くから練習を休んだりとスポーツよりも豊かな生活と時間の方が優先度が高い文化になっている。

このことをアメリカに行くことで実感できた。どちらが正しい、どちらが間違いではなくて人それぞれの価値観なのだと感じた。
僕も今でこそ勝ちたいと思いが強いが小さい時は蹴上がりができた、トランポリンで2回もひねれた、試合で上手くいったなどのワクワクやキラキラした感情を持っていたなと思った。

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終わりに

実際にこのアメリカ編を書いていて自分で思っていたよりもずっと長くなってしまいました笑
それなのにアメリカでの出来事の5分の1程度しか書けなかったです笑

それはなぜかというと僕にとって初めての外国がこういうものでそれだけ貴重な機会で人生の転機にもなる出来事だったからです。
この経験をして絶対将来は海外で何年かは働く!と行った体操の次の夢もできました。

たくさん失敗や怖かったこともあったことですが得るものはめちゃくちゃ多かったです。
それは自分にとってチャレンジだったからです。
挑戦することで初めてたくさんのものが得れることを改めて知りました。

ちなみにその後アメリカで沢山の激励をもらい、無事日本に帰国しました。

本当に村田先生や植松さんに感謝しても仕切れないです。

また植松さんは次はお前が次の子にしてあげるんやぞって言ってくださり、僕もこういう大人になりたいと思える、憧れの人を見つけることができました。


ps

日本帰国後その日の宿を取るの忘れてて友達と朝まで飲んで、サンマルクのモーニングを食べてから鹿屋に帰りました。みんなは海外に行く時はちゃんと計画を立てましょう笑

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これからも本質をつける人間を目指して頑張ります|


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