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自己顕示欲はガソリン

私は自他ともに認める(たぶん)、自己顕示欲が強い女です。
まぁ、こうやってnoteで自分のことをつらつらと書いているあたり、自己顕示欲の強さが伺い知れますね。笑

子どもの頃は、自分が自己顕示欲が強いタイプだなどと、考えたこともありませんでした。

でも、よくよく思い返してみれば、小学校時代から、楽器吹けるんだぞアピールをしていたし(ブラスバンドに入ってた)、中高時代は所属していた吹奏楽部で、自らソロを取りに行ったし、ソロコンにも出たいとアピールしたし。
声楽をやり始めてからは、自己顕示欲と承認欲求の塊みたいになっていたような気がします。
(今振り返ると震えがくる)

まぁいずれにしても、子ども時代から「自分ガー!」な特性は、十分に見受けられておりましたね。

が、自分が「自己顕示欲が強い」という自覚はまったく、まっっっったく、ありませんでした。
社会人になり、同期入社のメンバーと過ごすうちに「どうやら私はちょっと『自分』が強めなのかも……?」という自覚が、ようやく芽生えたくらいです。

それまでは、たまたま温かく受け入れてくれる人たち囲まれていたので、気が付いていなかったみたいです。
(お恥ずかしい)

ということで、そこからは自分がしてきた行い(特に対人関係での)について、反省・改善を心がける日々が始まりました。

自分語りはしない(たまになら許す)。
話を奪わない(奪っているという自覚すらなかった)。
マウントを取らない(それほどやらかしてなかったはず……)。

などなど。

大人になってようやく、「他人へ配慮する」という意識が生まれたというわけです。
いや遅いがな。

さて、そんな感じで自覚も生まれ、ちょっとずつコントロール出来るようになってきたつもり。
なのですが、もともと持ち合わせている特性でもあるので、思いがけない場面で、にゅっと出てくることがあります。
それはちょっと恥ずかしいし、家に帰ってから反芻して、(んぎゃーー)と身もだえすることもあります。

その反面、自分自身を、そんなに厳しく取り締まらなくてもいいんじゃないか、という気持ちもあったりします。
自分を取り締まる⇒自分の悪いところばかりチェックする⇒自己肯定感がますます下がる
そんな流れにもなっているように思うのです。

下の記事を読んで、あーそうかも、と思ったのですが、自己肯定感が低いと、自己顕示欲や承認欲求が強くなる傾向は、確かにあるかもしれません。
(あくまでも私の体感ですが)

https://go.chatwork.com/ja/column/efficient/efficient-418.html

人間て、どこかが落ちたら他の部分を上げて、バランスを取ろうとするんですよね。
そう考えるとますます、自分を厳しくチェックするのは、自分で自分を「面倒くさいひと」にするだけなんじゃないかな。

悪いところを取り締まるより、いいところを褒めて伸ばすのが、自分の整え方としては正しいような気がしています。

ところで、今日たまたま、林真理子さんの対談を読んだのです。

高校生のときに、林真理子さんの著作をたくさん読んでいました。
特に「葡萄が目にしみる」という作品は、くすんだ女子代表、みたいな自分と重ね合わせて、いたく共感したものでした。

エッセイも好きで、当時本当によく読んでいたのですが、彼女こそ、自己顕示欲の塊みたいな人ですよね。

林さんは、有り余る自己顕示欲を自力で昇華させ、成功を勝ち取っていった女性です。

それって本当に、本当にすごいことだなと。
並大抵のことでなはいですよね、想像もつかないけれど。

そのあたりの話は、「星に願いを」という小説で読んだなぁ。懐かしい。

私は、自己顕示欲とか承認欲求とか自己肯定感の低さとか、自分自身の「めんどくささ」から逃げまくってきました。
だって面倒くさい奴なんだもの、わたし。笑。

逃げたことで、自分の身は、多少守れたかもしれない。
でも、守りに入ったことで「やらなかったこと」は多かったなと。
それはちょっと残念に思います。

あと2年弱で50歳。
「守り」に入っている自分も好きだけど(安心感がすごい)、「攻め」の自分もあっていいんじゃないかと思います。
そのとき、私の「自己顕示欲」は、ガソリンとなって私を動かしてくれるはず笑。

誰かのお役に立つために、ガソリンをバンバン消費して走ってみよう。
きっと楽しいぞー。


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