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You're not. 自分軸で他人を決めつけない覚悟

#最近の学び

人はこんな風にジャンル分けすることが出来るらしい。

I'm OK. You're OK.

I'm OK. You're not.

I'm not. You're OK.

I'm not. You're not.

自分を許すか、許さないか。他人を許すか、許さないか。

【I'm OK.】と自分に言える人は、自分のことを肯定的に捉えることが出来る人。自分に出来ることが分かっていて、出来る自分を褒めてあげる。自分を褒めることで、次に自分がやってみたいことに普通にチャレンジ出来る。【I'm not.】の人は、自分の失敗に目が向きやすかったり、自分なんかに出来ないよ…と思ってしまったり。他人と比べて自分の出来ないところばかりに目が向いたり、過去にしたことが意味ないなぁとか思ってしまったり。

【You're OK.】は他人の話を、まぁそんなもんじゃない?っていうテンションで聞けるけど、【You're not.】の人は他人の話に辛口アドバイス(のつもり)をしてしまったりする。

このタイプが優れているとか、あのタイプが劣っているという話ではないらしい。ただ、人を分類出来るひとつの指標みたいな感じ。なんとなく単語を見れば、その文の印象が分かると思う。

私は【I'm not.寄り、めっちゃYou're OK.】のタイプだった。自分自身のことになると遠慮しちゃうし(というより自信が無いから譲る)、相手のことになると何でもイイネ!やってみればいいじゃんって言う人間。

ただそんな私はここ数ヶ月の波乱万丈なドラマを経て、【I'm not.寄り、人によりYou're not.】に変化してたらしい。

振り返ってみると、この数ヶ月で他人の見え方が変わったかなと思う。人生の覚悟が見えない人にすっごく冷めた感情を持つようになってた。やりたいことを話すだけとか、動けない理由を話してくる人とか。あなたの覚悟次第で全部出来ることなのに、なんで人のせい、環境のせいにするの?って思っては、私はそんな他人に怒ってた。

自分の人生を生きる覚悟を決めて、行動にうつす方が偉いと思っていた。でも、それは私の主観なだけで、あなたの考え方も、私の主観もどちらが正しいのか?という話ではない。この世界の【どっちが正しい?】っていう考えは正しいように思えて、どちらかの意見を消してしまう。

この考え方を教えてくれた先輩に、私が【You're not.】になるのが少し寂しいって言われた。自分軸のこだわりが出てきている証拠でもあり、オーケー・ノットに正しさはない。ここから変わっていく私の姿も楽しみにしてくれているけど、ただ少し寂しいらしい。

【You're not.】の私は、自分の経験と相手の経験を見比べて、行動に移さないあなたを見て、すごくもどかしく感じてた。ただ、その方に言われて気がついたこと。常に【行動にうつす】ことが正義でもない。しかも、正義って死ぬ直前にその人にしか分からない感覚だなぁ、という気付きがあった。

結局のところ、私の人生は自分の主観でしか生きることが出来ない。私は行動に移し続けることで【I'm not.】な自分を肯定出来る瞬間があるし、人の人生はその人が生きたいように生きれば良いと割り切ることで【You're not.】な自分が小さくなっていくのかな、と思った。おわり。


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