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やっぱりおっぱい〜がんサバイバーの奮闘記〜 第8話

3月10日、10時半に病院へ。ラッシュの時間帯に、スーツケースを持って病院に行くだけで疲れてします。
看護師さんへ書類を渡し、早速ランチ。病院の食事はあまり美味しくないが、文句は言えない。
外科、形成外科、麻酔科の先生が万が一のための話をして、書類に署名・捺印。
盗まれる可能性は少ないけれど、ハンコは安い三文判を作ることをオススメします。
薬剤師にも服用している薬を伝え、看護師に手術当日に飲む用の薬を渡す。
当日の手術担当の看護師が手術に関する説明を行う。とにかく前日は説明と署名・捺印でひっきりなしに人がやってくるのだ。

16時過ぎに両親がやってきた。母は風邪を引いていたので、距離をとって話をした。今振り返ってみると、コロナが徐々に蔓延している状態で、よく両親が東京まで来たなぁと思う。
病院側も短時間の面会という規制があったので、長時間の滞在は遠慮してもらった。
母親が買ってきた大好きなアンジェリーナのモンブランを食べ、束の間の楽しい時間を過ごす。18時に夕食、そして入浴。

前回とは違って、友達には手術することを伝えていたので、メールのやりとりに忙しい。私と同じように入院している友達もいて、お互い情報交換。病院によって面会の規制や対応が違うんだなぁとしみじみと感じた。

3月11日、手術当日。左胸部分切除、右胸全敵。エキスパンダー挿入の手術。
朝5時半に看護師に声をかけてもらう。6時までにしか水分が取れず、それ以降は絶食なのだ。
手術に向かう支度をするも、ギリギリで形成の先生に呼ばれ、上半身にマジックで何か書かれ、写真撮影。看護師が急かす中、私も記録としてスマホで写真を撮る。

両親に見送られ、歩いて手術室へ。オペ看が二人とも高橋さんで、先生はお姉ちゃんとお嬢ちゃんと呼んでいて、和やかムード。オペ室内って患者に心配させないように音楽を流したり、いつも以上に先生もニコニコ笑っているんだよね。

気がついたら、麻酔で落ちていて、声をかけて目が覚める。ぼんやりとした中、私が一番心配していたこと、第一声が「乳頭と乳輪はありますか?」と尋ねたら、「ありますよ」と言われ一安心。
前回より意識はあるが、全く声が出ない。手術室からエレベーターに乗って自室に戻ったのもなんとなく覚えている。


手術が終わって、両院が来てくれた。本来ならば、面会時間ギリギリまでいてもらうことができるのだけれど、短時間の面会になるためあまり話ができなかった。「頑張れ!」って言ってくれたような気がする。
動けないので、喉が乾くと看護師を呼んで、口内を濡らしてくれる。前回は母親がやってくれたが、何回も看護師を呼ぶのも気が引けるので、我慢した。
夜に、主治医の先生が病室に顔を出してくれたが、ちゃんと挨拶ができなかったかも。

ここで想定外のことが起きる。約7時間の手術で、背中や腰が痛く、胸の痛みで寝返りも打てず、ほとんど眠れなかった。

3月12日、眠れなかったせいか、午前中は眠くてだるかった。看護師に身体を拭いてもらい、新しいパジャマに着替えるものの、体力がないので一苦労。
昼間には、弾圧ソックスも脱がされ、尿管も外れ、快適になった。
ここから看護師の付き添いでトイレに行く。前回の倍の時間手術をしていたので、体力の消耗も激しく、一人でトイレにも行けない状態だった。
看護師の付き添いでレントゲン室に行く。とりあえず、胸は順調とのこと。
胸は痛むけれど、ちょっとずつ身体を動かす。首、肩、背中、腰通を和らげるために、頑張ってみるも体力がもたない。
術後、初めて体が痒くなる。特に脇下とブラジャー周り。軟膏を処方してもらう。

3月13日、睡眠剤を服用するも、腰痛、背中痛で目が覚める。今日も身体は強張っている。
外は天気が良いのに、午前中はうつらうつらとして何もできない。
面会に行きたいと言ってくれる友達もいるが、難しいとメールをするだけで精一杯。
夕方、母親がみかんとババロアを持ってきてくれた。母曰く、病院内はピリピリしていて、何度も文句を言われたらしい。時期が時期だけに仕方がないのかもしれないが、細々としたことをやってもらえないのは不満で、何度ナースコールをしたいと思ったことか。患者なのに遠慮してしまう私の悪い癖。
母は翌日、実家に帰るという。東京にいても何もすることがないから仕方がない。

右胸の無感覚さ、熱さ、腫れがちょっと気になる。簡単に診察できるように、入院中は前開きのブラジャーをしているのだが、これが苦しい。
痒みが止まらず、掻いた跡があちこちに広がる。今日はプラスで保湿剤も処方してもらった。
手術した後、初めて鏡で自分の姿を見た。乳首は両方とも変な向きをしているけれど、ちゃんとあったことにホッとした。

3月14日、今日も腰痛と背中痛で目が覚める。夜眠れない分、午前中の眠気がひどい。しかし、1時間おきに誰かがくるので、まとまった眠りが取れない。
看護師に身体を拭いてもらう。まだ、シャワーの許可は出ない。髪も洗いたい。

まさかの友達がお見舞いにきた。受付で特に何も言われず、するっと病室まで来た。滞在時間は短かったものの、ただ来てくれただけで私には十分だった。

肌荒れがひどいので、ブラジャーの下にガーゼをかます。少しだけ楽になった。
1日3回の抗生物質の点滴も今日で終了。左手の針やテープを外されるだけでも快適。

3月15日、今日も腰痛と背中痛で目が覚める。抗生物質が点滴から錠剤へ変わる。
だいぶ腕が動くようになったけれど、右肘は腱鞘炎みたいな痛みとだるさは変わらない。
ずっとつけているドレーン周りも痛いし痒い。

下半身だけの入浴の許可が出た。ドレーンは抜けないので、上半身が濡れないように気をつけつつ、シャワーを浴びる。時間はかかるものの、スッキリして気持ちが良い。

3月16日、やはり腰と背中が痛くて、早起きしてしまう。クッションが欲しい。
月曜日の午前中ということで、診察だけでなく掃除の人など、人の出入りが多いので、ゆっくりできない。とにかくのんびり過ごす。

3月17日、起きる時の痛みが和らいできた。昼食前に形成外科に呼ばれ、抜糸と全身の入浴許可が出た。と言ってもシャワーのみ。そして、退院は金曜日に決まった。

術後、初めて看護師に洗髪してもらった。スッキリしたけれど、扱いが雑というか。美容師のシャンプーの丁寧さを改めて感じた。

一週間ぶりの全身シャワーは気持ちが良いけれど、胸に異物が入っているのに違和感がある。身体を洗っている時にスポンジから伝わってくる違和感。ちょっとだけ悲しくなった。

3月18日、午前中はほとんど誰も来ず、看護師が剥がれかけているテープを取り替えてくれた。午後、ドレーンが少し外れかけていたので、外科の先生に処置してもらう。

夕方、主治医が顔を出してくれた。なんかホッとする。

夕食時、排液が漏れてきた。形成外科の先生が処置をしてくれる。
3月19日、午前中に形成外科に呼ばれて、ドレーンを抜いてもらった。かなり身体が楽になり、痒みも治ってきた。
元々、手術時にエキスパンダーには120ccの生理食塩水を入れたのだが、左右差を考えて、20cc追加注入。

3月20日、10時半に退院。途中駅で休みつつ、自宅へ着いた。換気と洗濯をして、昼寝。とりあえず夕食はあるもので済まし。ゆっくりシャワーを浴びる。一つ一つの作業にはいつも以上に時間がかかるけれど、それもリハビリの一つだと考えよう。


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