親父の理想はきっとリベラルだった

私は、父を憎んでいる。父は女(私の母)に手を挙げ、外に女を作ってくるような男だったからだ。

が、振り返れば、彼はかなりリベラルな男だったのではないかとも思う。そもそも、私は、家事一切を父から教わった。収納、掃除洗濯、料理の段取り、味付け方…中学生くらいから父子家庭だったこともあり、父は「母」を兼ねるようになった。しかも「これからの時代、女も人の上にたつ時代だ、野心を持て」と覇王道みたいなものまで教え込まれた。

小学校高学年くらいから父は女性の体を持つ私とは明確な距離を持ち出した。私の部屋にはよほどのことがなければ入らなくなった。90年代、コギャルやエンコーなど、10代の性の乱れが問題視された時代だったこともあるだろう、父は、恋人ができることも、性的行為をすることも自然なことだとした上で、避妊をしろと、やんわりと説いていた。しかし、だからといって恋人の存在を問いただすことは一切なかった。直接的な避妊の話をすることはなかったが、NHKなどで性病予防の特集をやっていたら、いいからこの番組を見ろ、と見させられ、勉強になった。性嫌悪はないこともないが、性的な欲求と、性的な面の防疫概念、感情を切り離して考えるのは、少なからず父が「貞操観念云々さておき、性的なことへの自衛の大切さ」みたいなことを大事にしていたからだと思う。
…まあ、無自覚のMTFで、全く男受けしないビジュアルのクソキモオタだったので、恋人なんてできる要素ゼロだったんだが。

女に手を挙げ、外に女を作る暴力的な男ではあったが、同時に女性を性的主体として扱い、人格の主体性を尊重できる人でもあったように思う。今にして思えば、その点で、父はかなりリベラルだったのではないだろうか。彼自身は、時代の中で、もがき、ホモソーシャルに適応できず、女にすがって、女に逆恨みして生きることしかできなかったように思う。だが、それを次世代に残したくなかったのではないだろうか。あるいは、なんとなく、私の中の男性性に気が付いて可能性もあっただろう。トランスジェンダーとはまでは思わなくても、当時の「女の子の幸せ=専業主婦」から外れる生き方をしかねないという予感が会ったのかもしれない。(もちろん、父が存命で、私が男性に移行したら、それを受け入れてくれるかと言ったら、絶対受け入れないと思うが。)

漫画のキングダムとか見てると、男というのは社会から強くあれ、捨て身であれ、女子供を守れ、いつでも戦場で散れと、命を捧げさせる代わりに、女子供を所有できる権利を与えられてきたんだろうなと思う。それは、男自身の人権を捨てさせていることだと思う。その代償として、女子供の人権がすすんで男に献上される。それは、実はだれよりも、男が哀れだ。おそらく、そうでもしないと戦なんてできない時代だった。人命が羽のように軽い時代だった。社会から認められるためには、命を捨てる以外道がなかったんだろう。だが、今は、男社会で認められる、高い地位を得るために、命なんてかけなくていい時代だ。だからこそ、男の子はもっと猫可愛がりに育てていいし、男の子は自分を大事にしていい。怖いことは怖いと言っていいし、可愛いものを見てかわいいと、自分をきれいにしたいと美容にこだわったっていい。

父は、たぶん、女性的な人だったと思う。空手黒帯で体重100キロあるのに体脂肪10%切るような巨漢だったけど、料理が趣味の家庭的な人だった。そして休みの日は読者やゲームに没頭するクソオタで、たぶんとても内気な人だったのだろう。しかし社会からは豪傑な男を求められたのだと思う。その自己像の不一致に、きっと苦しみ、女に逃げ、酒に逃げ、暴力に逃げた。彼は、自分の果たせなかった男の夢を私に託していたのかもしれない。(4番目で女児であった私に対しては、家などのしがらみや立派に育てないといけないというプレッシャーなしで、彼自身のびのび接することができたのかな、なんて…)

男尊女卑は、女性だけの問題じゃない。男性社会の競争でのし上がれなかった男をも蝕む。輝けるのは、ほんの一握りの男だけだ。彼のような、時代や社会に引き裂かれる人が一人でも減ってほしいと思う。

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