思考や感情の起伏をきちんと咀嚼する
かれこれ35日くらい連続でnoteを更新を続けられている。
ひとえにこんな好き勝手書いてる記事を読んでくれたり、スキやコメントをくれる皆さんがモチベーションの源泉になっているのは言うまでもない。
一方でモチベーションだけでは続けられるわけではなく、当然ネタが枯渇しないように日々思いついたことや前々から考えていること、気づいていることを都度evernoteにメモっている。
実際記事に落とし込めるくらいきちんと考えられているかどうかという点でネタの採用割合は6割くらいといったところだろうか。
このきちんと考えられているという点が、解像度の高さなんだろうなと最近思っていて、つまり解像度高く観察できているか、思考できているかというのが大事なんだということ。
だが、解像度高くっていっても実際どうしたらいいんだろうか。
結局は自分の悩みや感情の起伏を自分の中できちんと噛みしめられているかどうか。
咀嚼できているだろうか。
というところに尽きるかな、と。
それはある意味自分自身、関わる人たち、そして現実ときちんと向き合えているか。
ここを飛ばして抽象化してそれっぽい言葉を並べても、記事を各段階で手が止まる事が多い。
没ネタはほとんどそれ。
タイトルだけなんかいいこと言ってるっぽい感じになる。
悩んだり、喜んだり、悲しんだり、腹が立ったり。
いろいろな感情の起伏にきちんと向き合って咀嚼し、その後それを言語化し抽象化する。
この順でやらないと少なくともぼくは記事が書けないなあ。
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