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離人症と私

今回は私が抱えているものについて書きたいと思います。今まで一部の限られた人にしか言ったことがなく、こうして不特定多数の人々に向けて発信するのは初めてでドキドキしますが、こういう人間がいるんだよってことを知ってもらえればなと思います。

あの日のこと

その瞬間が訪れたのは確か2月頃、高校生の休み時間中だったように思う。クラスメイトと話してる時、急に視界がおかしくなった。なんだかふわふわする、見えるもの全てに現実味がないように感じる。クラスメイトの話が頭に入ってこない、音としてはわかるのに言葉として理解ができなかった。この人は何を言っているのだろう…。

自分の手をふと見る。ゆっくりとにぎったりひらいたりして確かめる。それが自分の手だという感覚がない。

この現実感がなくなる感覚は、実は初めてではなかった。小学生の時も中学生の時も何度かなった経験がある。それは一時的な感覚だった。だから私は今回も一時的なものだろうと、明日になれば治ってるだろうと楽観的に考えていた。

しかし、次の朝起きてもその感覚は続いたまま。

また次の朝、次の朝、次の朝、次の朝………。

次の朝こそ、治っていますようにと願って眠りにつく夜をもう何日重ねたでしょうか。

私は不安になりました。焦りました。これは一体なんなのだろうと思いました。

あれはいつの日だったか。私はネットで「頭 ふわふわする」などと検索をかけ、自分の症状に当てはまるものを探しました。調べていく中で私がこれではないかと結論をだしたのが離人症です。

離人症(りじんしょう、英: Depersonalization)とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる。慢性的な離人症は離人感・現実感消失障害 (DPD)とされ、これはDSM-5では解離性障害に分類される(DSM-IVの離人症性障害)

ウィキペディアから文章を引用しました。
うーん、少し難しいかもしれないですね。私の離人症の感覚を自分の言葉で表すとしたら、見えない膜のようなものが常に体を覆っていて感覚が薄くなる、物事や人を認識はできるけどその膜が邪魔をしていて感じ取りずらい感じ…うーん、伝わりますかね。

そうなんですよ、離人症って言語化するのが本当に難しいんです。これは感覚の問題なので実際に経験したことがある人じゃないとわからないと思います。いや、正直経験しててもよくわからない。わからないことがよくわかる、そういう病気です。

そうして、あの日のあの瞬間から、私が離人症になってから約7年の月日が経ちました。

気持ちの変化

最初の頃、離人症を知らなかった私は脳に異常があるのだと思い、病院で脳のMRIや脳波を調べました。でも何の問題もなく。頭がふわふわすること、現実感のなさを訴えましたが、結局何もわからずに終わりました。

早く治したい
私は死ぬまでずっとこのままなのかな
そんなのは嫌だ
誰かどうか助けてほしい

そんな気持ちが頭の中をぐるぐるぐるぐるしてました。高校生の間には治るかな、せめて20歳までには治っていたいな…。

でも治りませんでした。
高校生から20歳までの間は、修学旅行や受験、成人、初めてのお酒、車の免許、就活、卒業論文などイベントごとが多く、その全てを現実感がないままふわふわと過ごしてしまったのが本当に悔しいし、悲しいです。人生で一度しか経験できないようなことを私は感じることなく終わったのです。

短大生の頃、1年の間で車の免許、就活、卒業論文が重なってしまい、とてもストレスのかかる日々を送ることになりました。元々要領が悪く不器用な私は離人症だったこともあり、さらにストレスです。耐えられない、もう全て吐き出してしまいたいと思った私は学校にいたカウンセラーさんの部屋のドアを勇気を出してノックしました。

そのカウンセラーさんに家族以外で初めて離人症のことを話しました。残念ながら、離人症のことは知っていなかったし、何かが劇的に解決するといったことはなかったのですが、カウンセラーさんに話を聞いてもらうだけでも少し気持ちが楽になりました。そこで心療内科や精神科に行ったらどう?と提案をもらったのですが、色々悩んだ結果すぐに行こうとはなりませんでした。

治したいと思っていた気持ちが少しずつ、諦めの気持ちに変わっていきました。もう治らないんだ、一生このままなんだ、嫌だけどしょうがない、私は離人症を抱えたまま生きて死ぬんだ。

しばらくの間、社会人になってから仕事に慣れるのに必死だったり、趣味が楽しかったりなど没頭する時間が多かったため、離人感は相変わらずありましたがそんなに気にせずに過ごしました。違和感はやっぱりあるので、その時は治したいどうにかしたい気持ちになるのですが、諦めの気持ちもあるので何もしないまま終わります。

しかし、去年の夏頃、今更だなと思いつつ心療内科に行くことを決心します。理由は仕事で色々ストレスを抱えたり、この状態のままで良いのか不安になったりしたからです。どうやら私は耐えきれなくなると人に頼る行動にでるみたいです。世の中には頼らずに抱えてしまう人もいるので、そこは行動ができる思考があって良かったなって思います。

心療内科の先生は、離人症のことを知っていました。正直認知度が低い病気なので、専門家でも知らないのではと不安だったのですが、ある程度の知識はあるみたいでホッとしました。離人症患者さんを治したこともあるとかないとか。私は事前にネットで何人もの離人症患者さんの薬では治らない、何十年も治ってないなどの実態を知っているので半信半疑ではありますが。でも良い先生なんじゃないかなぁと思います。なるべく薬は少ない量で治せる方がいいという考えみたいで、薬の量を増やすのはとても慎重です。ただ、治る気配が今のところ全くなく、2週間ごとに薬を貰いに行くだけになっている気がします。でも薬のおかげなのか、メンタルは前より落ち込みづらくなったように感じますね。

離人症に対する気持ちとしては、治ってほしいという強い気持ちともう一生治らないという諦めの気持ちがいったりきたりしています。たまに何が何だかわからなくなってそもそも私は離人症なのか?という疑問を持つこともあります。でも、この違和感だけは本当だから。とにかくこの感覚はおかしい、また現実に戻りたい。もう一度あの頃みたいに自分の体、精神、五感全てで何もかも感じ取りたい。空気をおいしく吸いたい。

様々な症状

離人症と関係があるのかわからない症状もありますが、離人症になってから感じる違和感、症状をいくつか紹介します。

・薄い膜に包まれている感覚
・頭にもやがかかったような感覚
・自分だけが違う世界にいるみたい
・読書、文字を読むのに以前よりもエネルギーを使うため辛く感じる
・人との会話は集中して聞かないとわからなくなる
・夢の中の方が現実味を感じる
・雨の日、寝不足の日などは特に離人感が強い
・涙を流すと現実に戻れる感覚がたまにある
・頭がふわふわする、ぼーっとする
・階段の昇り降りが怖い、距離感が掴めない
・孤独感が強い
・焦点が合わない気がする
・景色や物語に対して100%の気持ちで感動することができない(本当はもっと感情があった気がする)

原因は何?

考えられる原因は明確にはわかってないのですが、これかなぁというのは何個かあります。

・ストレスの積み重ね
昔から私は何かを我慢して生きてきたように思います。自分の本当の気持ちに蓋をして、自分を押し殺して。楽しいこともあったし発散してるつもりだったのですが、それ以上に小さなストレスの積み重ねが良くなかったのかもしれません。自分の心の声に耳を傾けられていませんでした。

・環境の変化によるストレス
小学校中学校は同じ人たちと過ごしましたが、高校は全く違う人たちと過ごすことになりました。元々人と関わるのが苦手で人見知りでコミュ障な私。何もかもが新しい高校生活にストレスを感じていたのだと思います。でも離人症になったのが冬なんですよね。秋まではなんとか耐えていたってことなのかな。

・深く考えすぎる性格
友達とは?自分とは?一体なんだろうと概念について考えることが学生時代は多かったです。考えたところで答えなんてでないのに、深く、もっと深くとどんどん沼に沈んでいくように考えることを止められなかったです。頭を悩ませるけど、考えることは嫌いじゃなかったし本当のことが知りたくて。あと、俯瞰的に自分のことを見がちだった。そうした思考の仕方が良くなかったのかも。

・逃避癖
私は空想をするのが好きでよく頭の中では空を飛んだり、魔法を使ったりしてました。現実なんてつまらなくて、なんで魔法が使えないんだろうと何度思ったか。アニメや漫画、ゲームは好きでやっていたけど現実逃避してる部分もあったのかも。私は割とその創られた世界観に没入しやすくて、影響も受けやすくて。その世界に行きたいって思ってその世界を現実世界に落とし込んで私だったらこうかなぁなんて設定を考えてましたね。

・理想とのギャップ
私は特別になりたかった。物語の主人公みたいに。勉強も運動もできて、音楽も美術だって。可愛くてかっこいい、そんな少女に憧れた。でも特別にはなれなかった。私が夢に描いた漫画家やイラストレーター、色んな作品の絵を担当したり、自分の作品がアニメ化されたり、有名になるのを想像した。そんな高い理想が現実と違いすぎて、私は現実に耐えきれなくて離人症になったのかな。今はそんな高い理想は望まないから、少しでも絵の仕事がしてみたい。そしたら、私はちょっとは変われるかな。

どこかの私へ

私が離人症について書こうと思ったのは、今までの気持ちを誰かと共有したかったから、孤独で辛かったから…もちろんそれもあります。ですが、私はこれまでネット上で様々な離人症患者さんの言葉に共感し、私だけじゃないんだという安心感、心強い気持ちになりました。だから私も、誰かの気持ちに寄り添えたら、あなただけじゃないよって不安な気持ちを少しでも取り除けたら…。そんな思いで今回の記事を書きました。

離人症はまだまだ研究が足りない病気です。他の病気と比べれば、現実感がないだけ、感覚がおかしいだけ、痛みもない。確かに治らなくてもそれほどの問題はないのかもしれません。でも、確かに苦しいのです。辛いのです。いつか離人症を治す治療法が確立されることを心から願ってやみません。

私と同じ離人症の皆さんへ。人から理解されなかったり、誰にも言えなくて孤独だったり。本当はおかしいのに健常者として見られる分、余計に辛いよね。私にはこんなことしかできないけれど、あなたのことを少しでも救えたなら嬉しいです。

次の朝に期待して私は今日も眠りにつきます。

もしよろしければお願いします…! 私が泣いて喜びます…