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ジョン・ケージの「易の音楽」にみる20世紀音楽の特徴

「易の音楽」

1950年代のはじめ、ジョン・ケージ(1912–1992)は1冊の本をきっかけに偶然性の手法にたどりついた。その本は中国古典で儒教の経典である『易経』I Ching の英訳本であった。ケージは『易経』の六十四卦を作曲のためのチャートとしてつかうことができるとかんがえた。つまり、六十四卦に音高・持続・テンポ・ダイナミクスをあてはめて、コインをなげてしめされた易の結果にもとづいて作曲をするのである。かれはこの手法をもちいて「易の音楽」Music of Changes を作曲した。

「易の音楽」の楽譜は、ピアニストにたいへんな演奏技術を要求する。まったく無作為にならんだ音符は、数おおくのシャープとフラット、pppp から ffff までの音量の変化、これらがときにとなりあい、演奏不能の和音をつくりだして、つねに変化するテンポとあいまって、ひじょうに複雑な様相を呈する。演奏家はこの複雑な譜面を正確に再現しなければならない。このようにみると、この作品は作曲家にとっては不確定であるが、演奏家にとってはむしろ確定的であることがわかる。(コープ 2011: 152–156;シルヴァーマン 2015: 104–111)

この作品を出発点として、20世紀音楽の特徴をみていくことにしよう。とはいっても、現代音楽はひとつの潮流ではなく、この混沌とした世界をたったひとつの作品からきりとってみるのは、多少のむりな解釈をふくむであろう。とくに出典が示されていない記述は、わたしの独断であることをおことわりしておく。

調性と楽音からの脱却

20世紀音楽を特徴づける最大公約数的な傾向は、調性からの脱却ということができよう。

無調音楽の領域に本格的にはいりこんでいったのは、アルノルト・シェーンベルク(1874–1951)ら新ウィーン楽派の作曲家たちであった。シェーンベルクは、無調音楽の作曲法を体系的に整理して十二音技法をうちたてた。かれの弟子であるアントン・ヴェーベルン(1883–1945)やアルバン・ベルク(1885–1935)は、十二音技法をそれぞれ個性的な方向へと発展させた。かれらの音楽は、和声的には従来の西洋音楽から離脱したものだったが、その形式は古典主義的であり、また表現主義的なスタイルは後期ロマン派音楽と共通するものがあった。(高橋ほか 1996: 209)

シェーンベルク以後の前衛音楽は、基本的に無調であるといえる。ケージの「易の音楽」も、いうまでもなく無調である。しかし、シェーンベルクにとっての無調性は、色彩的であり構造的なものであって、「調性がない」ということではない。シェーンベルク自身は「無調性」ということをさけて、「不協和音の解放」とか「汎調性」ということばをもちいた。これに対して、ケージの音楽にみられる無調性は、従来の調性を不協和音までおしひろげたというよりも、その調性自体をなくしてしまったものととらえることができないだろうか。

1930年代のある時期、ケージはシェーンベルクのもとで作曲をまなんだ。あるときケージは、じぶんに和声の感覚が欠如していることに気づいた。シェーンベルクにとって、無調の和声は、作品の一部分をほかの部分から区わけするための手法だった。シェーンベルクは、ケージには作曲はできないだろうとつげた。ケージはその場面の会話をこう回想している。「『なぜなのでしょう』と尋ねると、『あなたは壁にぶつかり、それを突破することはできないでしょうから』と[シェーンベルクに]言われたので、『それではその壁に向かって頭を打ち付けることに人生を費やしましょう』と返しました」。(ケージ 2019: 71–72)

こののち、ケージはシェーンベルクの無調音楽をはなれて、打楽器のための音楽、プリペアド・ピアノの音楽へとむかい、そしてあの有名な「4分33秒」を作曲することになる。これらの作品は、西洋音楽の基本を構成する要素であった楽音からの脱却を意味するのではないか。つまり、それまで音楽とはみなされてこなかった音響にまで、音楽を拡張したといえるだろう。こういった楽音から脱却する傾向は、ほかのおおくの作曲家の作品にもみられる。これも、20世紀音楽の特徴のひとつととらえることができよう。

偶然性と不確定性

作曲家の不確定性からはじまった不確定性の音楽は、演奏家の不確定性、さらに作曲家と演奏家の不確定性をふくんだ音楽へとすすんでいく。

ケージは、1940年代末のフランス滞在中にピエール・ブーレーズ(1925–2016)と親交をむすんだ。ブーレーズはそのころ全体的セリー主義にもとづいて「ピアノ・ソナタ第2番」などを作曲していた。ケージとブーレーズは、議論をとおしてたがいに影響をあたえあった。しかし、ふたりの交友関係はしだいにとおのいていく。それは、ケージとブーレーズの音楽は音響面では類似していたが、その思想にはへだたりがあったからだといわれる。プリペアド・ピアノをきっかけとして、ケージとブーレーズは音を抽出したが、ケージにとって音高・音量・音色といった要素をコントロールする発想はなかったのに対して、ブーレーズはその変化をどう制御するかという方法論へとむかった。(柿沼 2012)

この両者のちがいは、偶然性と不確定性をめぐる対立にまでおよんでいる。ケージはチャンス・オペレーションの技法によって作曲者の意図を作品から排除したいっぽうで、ブーレーズは曲の構造や意図をコントロールした「管理された偶然性」にたった。これは見かたをかえれば、ほんらい不確定性とは相いれないはずの全体的セリー主義でさえも、偶然性の音楽の影響をうけざるをえなかったのだということができないだろうか。

西洋性からの脱却

「易の音楽」は、いうまでもなく、東洋の思想へのケージの関心を反映している。また、ケージが鈴木大拙について禅をまなんだことも、よくしられている。東洋に対するケージの態度は、しかし、あくまで思想上のものであり、非西洋の音楽の様式をとりいれることはなかった。

20世紀音楽は、しだいに西洋性からの脱却をはじめたようにみえる。日本をふくむ非西洋の国ぐには、西洋音楽を基礎としながらも土着的な前衛音楽を志向する傾向をもった。西洋世界でも、非西洋の音楽を引用したり、その技法や思想をとりいれたりすることがふえた。その一大潮流が、反復音楽としてのミニマリズムであろう。西洋音楽の調性の上に非西洋的なリズムと反復を構築する技法であるミニマリズムは、ある意味で普遍的な音楽へむかう可能性を有しているといえるのではないか。

ここまでのべてきた20世紀音楽とは、西洋世界のある一時期にあらわれた前衛音楽にすぎない。そういった音楽がはたして西洋性から脱却することができるのだろうか。音楽という観念自体、西洋的なものなのではなかろうか。20世紀音楽がどこまでも前衛的であることをもとめるとするならば、最後に克服しなければならないのは音楽の西洋性であったろうとおもう。

(初出 2020年8月19日 senmanben.com)


柿沼敏江 2012「ジョン・ケージとピエール・ブーレーズ」『intoxicate vol.96』
ケージ、ジョン 2019『ジョン・ケージ─作曲家の告白─』大西穣(訳) アルテスパブリッシング
コープ、デイヴィッド 2011『現代音楽キーワード事典』石田一志・三橋圭介・瀬尾史穂(訳) 春秋社
シルヴァーマン、ケネス 2015『ジョン・ケージ伝─新たな挑戦の軌跡─』柿沼敏江(訳) 論創社・水声社
高橋浩子・中村孝義・本岡浩子・網干毅(編著)1996『西洋音楽の歴史』東京書籍
ボスール、ジャン゠イヴ 2008『現代音楽を読み解く88のキーワード─12音技法からミクスト作品まで─』栗原詩子(訳) 音楽之友社


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