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なんで遅刻やねん、ほな先に結婚式始めとくで!

noteを書いてみることにしました。
自分がnoteを書きたがっているというよりは、自分の内面世界が文章として解き放たれたがっているような感覚に出逢いました。

「もし俺が謝って来られてきてたとしたら、絶対に認められてたと思うか?」(かまいたち)みたいになってますが、こういう表現が結構出てくるタイプの文章を書きます。

少しだけ生きやすさを感じられたり、日常のすきまでスイッチをオフにできる時間として触れてもらえると嬉しいです。

肌寒い時に持っててよかったって薄手のブランケットのような、そんな文章を認められるようになりたいし、そんな人間・存在になりたいと思っています。

ということで、今日は沖縄の古宇利島に旅に出かけた話。

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人間の交友関係って結構不思議なところがある。

一時期毎日のように一緒にいてもひょんなことから疎遠になったり、当時は仲良くなかった人と数年後に再会し意気投合したり。

そんな中、わたしには15年もの間、特に大きく揉めることなく、地元神戸への帰省時にコンスタントに集まったり、連絡をとり続けていたりする仲間が2人いる。

そのうちの一人が今回、結婚することになった。おめでたい。
沖縄県古宇利島の結婚式場で行うとのことで、それぞれのタイミングで前日から沖縄入りした。

結婚式の前日は、空港付近で待ち合わせ、Airbnbで別荘みたいな家?を借り、我々3人・新婦・新婦友人、の5人で過ごした。

料理を作って食べてもらうことが好きなわたしは、翌日結婚式を控える新婦やその友人のために、ヘルシーなサラダやラタトゥイユを作るため、長時間キッチンにたった。

食事も終盤を迎えわたしと新郎は「新郎じゃない方」が那覇空港に着く時間に合わせて、車で迎えに行った。(実際は空港で45分くらい待たせてしまうなど大遅刻だったわけだが。)

ドライブ中に、わたしの大好きなUNCHAINを聴いていて、雨が降ってきたときにRainy Dance Floorという曲がかかっただけで盛り上がったことがとても印象的だった。(だいたいそういうしょうもないことって印象に残る傾向、ある。)

翌日の結婚式前には、新婦の友人(同い年の女の子)と新郎じゃない方と3人で古民家カフェに行き、沖縄っぽいゆったりした時間を過ごした。
ちなみに、結婚式の集合時刻に数分遅刻したその3人。沖縄タイム。

タイトルの〜なんで遅刻やねん、ほな先に結婚式始めとくで!〜は「俺らが結婚式大遅刻したら、新郎がなんて言いそう?」選手権を式場に向かう車内で開催したときに優勝したフレーズ。圧倒的優勝。

結婚式は素晴らしいロケーションで思い出深いものとなった。
出席者として、結婚を承認するための?署名をするパートがあり、新郎じゃない方の友人が、自分よりも先に名前を書いた。

その友人はある理由があって、最近名前を変えた経緯があったのだが、高校時代にいつも一緒にいた時の名前を書いているのを見て、心が揺さぶられ、自分の署名時にちょびっと手が震えたことは墓場まで持っていきたい。

ほんとにおめでとう。

結婚式の翌日、那覇空港で解散し、それぞれの日常に戻った。(私と新郎じゃない方は沖縄でもう一泊し、さらにわたしに至っては、その後友人の実家に2泊させてもらうなど、沖縄をそれぞれが満喫した。)

思い出深い結婚式の旅が終わり、東京の自宅に戻った数日後に、新郎じゃない方から「新郎、今年のM1どうする?」と連絡がきていた。新郎から「でようや!」と返信が来ていた。

結婚式前後で「M1でえへん?」って言っていて、またふざけてるなと思っていたけど、数日後「エントリー完了したで!」の連絡とともに、漫才の台本が送られてきた。(※漫才経験ゼロのど素人。)

「そういえば、これまでも3人で会ったときの雑談をきっかけに、こんな感じで新郎じゃない方が新しいチャレンジ始めてたな」と思い出した。

そしてこれからも特別な深みや意味はなく、これくらいの感じで豊かな体験が積み上がっていくような気がした。

我々3人が15年もの間、一緒にいつづけているのは常に新しい刺激に溢れていたからだと認識した。

「人は必要な時に必要な人と出会う」という理論の信者なので、もしこれからそんな刺激がなくなったのであれば、これから疎遠になったり連絡を取らなくなったりするかもしれないと思ったが、それはそれでいい。

ふとしたタイミングで互いのことや、互いに積み上げてきた日々のことを思えればそれだけでもいいなと満たされる感覚があった。

大切な時間を実は積み上げてきたことは、結婚式みたいな(人間が作ったある種無理矢理な)節目があるとわかりやすい。

しかし、節目がなくても日常の中に溢れていたり、気づかない間に積み上がっていたりした想いや願い(や事実・実績でもいいと思う)そんなものたちをこぼれないように抱きしめて生きていけるといい。

目標達成や課題解決をパワフルな関わり方を持ってして支援をするプロにはなれなくてもいいけど、人が自分を抱きしめて生きていける支援をするプロにはなりたい。(のかもしれない。)(この感覚はもう少し時間をかけて、もっといい言語化ができそうなので、あえてふわふわと浮かべておく。)

こんな感じで、ただ結婚式の旅に行っただけで一見関係なさそうな感覚を得たことを起点に、人生こうありたいと願うところまで考えるに行き着くのが、この3人で過ごす時間の面白いところだ。

ダイレクトにやりたいこととか将来の話をすることは他の友人ともあるけど、関係ないところから示唆を感じさせてくるこの独特な感じは、長い年月が積み重なった我々3人の関係のみが生み出せるのかもしれない。

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我々3人が育った神戸という街には、阪急電車という私鉄が走っている。我々3人も毎日阪急電車に乗って、通学した。

そして、その阪急電車で起こる、様々な人間同士が織りなすストーリーを題材にした「阪急電車」という映画がある。(主演は私の好きな中谷美紀!)

彼女が映画の最後に戸田恵梨香に向かって放つセリフを思い出した。
「なんていうかさ、悪くないよね、この世界も。」

恥ずかしくて見てられないラストシーンだっただけに、逆に印象に残っている。(セリフ作った人、ひどいこと言ってごめんなさい。)

ちなみに、映画自体は面白くて好きな映画として皆さんにおすすめ。
神戸にゆかりのある役者さんがいっぱい出てて、当時既に大人気の戸田恵梨香・若き日の有村架純・幼児期芦田愛菜ちゃんとか出てます。ヒューマンドラマ系の映画を見られる体質の人だったら結構おすすめ。

話を戻すと、この世界のことや、自分のことを、全員が全員「最高だ」と言いきるのは不自然な気がして、なんだか、かなりの違和感がある。

けれど、いつでも、誰もが、「悪くない」(もしくはそれ以上にポジティブな状態)と思えるくらいに生きていけるのであれば、それって「悪くない」世界だと思った。結婚式の旅から、わたしの頭の中ではこんな回想が繰り広げられていた。

11月には「新郎じゃない方」の結婚式が控えている。
新郎と、新郎じゃない方が入れ替わるのだ。
また我々の中に、大きくて、でも、特別すぎない豊かな体験が積み上がっていく。

次は、沖縄じゃなく、福岡だ。

福岡に飛行機で移動せなあかんのか〜
悪くないやんけ!

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