平成の終わり、メルボルンにて

物理的な距離も離れてるし、気にも留めぬうちに時代が変わっていくんだな〜なんて思ってたけど、テレビで儀式の様子が報道されたりしている(15分に一回はニュースに出てくる)からか、ここに来て急に興味が湧いてきた。

この時代の遷移を自分と関係のあることとして捉えることが、自分を日本のアイデンティティに繋いでくれて、わたしに帰る場所があるみたいな安心感をくれてるってことかな。

アイデンティティなんて、正直日本にいる限りほとんど意識したことなんてなかった(今考えれば、良いか悪いか、周りにいる人みんなおんなじような属性だったし、わざわざアイデンティティなんて引っ張り出して、自分と相手の輪郭を確認する必要なんてなかった)けど、

当地には、やはり自分との隔たりという意味では大きい人が断然沢山居て、恥ずかしながら、ようやっと自分の中では暗黙の前提になっていた、出生の地という「アイデンティティ」にも愈々目が向くようになってきたように思う。

ナショナリズムに帰結するつもりは毛頭無く、わたしは幸いなことに、日本で生まれて、日本でアレやコレやに触れて育った、みたいなことを、純粋に誇りに思えている。

今のところ、わたしのアイデンティティは日本生まれ日本育ち、そして拠点は日本のhuman beingだし、天皇という特殊な存在は、その輪郭をよりはっきりさせているのかもしれない。

もちろん、別に日々天皇陛下を心の片隅に置いてました!!なんてこと全然なかったけど、たまにテレビとかで見て かわいいおじいちゃん頑張ってるな〜、この仕事 ず〜っとやるのか…なんと大変なんだ…みたいな感じで応援?してた?から…

…それって推してるアイドルがいるとしてそのファンのグループに帰属した時に覚えるような安心感ってこと??ち、陳腐…

いずれにせよ、なんらかの帰属グループを形作っていたというのは確かだ。象徴天皇制、わたしに関しては、うまく機能していたようだ。

またこの地に居てこそ思うのは、例えば日本に移民の人がもっと増えたとして、そういう国を統合するのに天皇は貢献するのかな?あるいは、天皇の機能は日本国民統合ではなく平和の象徴の方によりシフトしていったりするのかな、ということでしょうか…うーむ寝られない。

とにもかくにも、この改元をオーストラリアで迎えるなんて…と思ってたけど、これはこれでなかなか示唆に富んだ歴史体験になっているような気がします😊

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