【千葉・習志野】戦国から明治まで習志野の歴史ウォーキング、そして新時代のラーメンも
「悩み事は、散歩して忘れるのが一番。まあちょっと外へ出てみたまえ。ほら、悩みごとなんか、翼が生えて飛んで行ってしまう。」(Dale Breckenridge Carnegie)
地元近くのウォーキング、今回はJR総武線の津田沼から京成本線の実籾駅まで。実籾駅では豚骨イタリアンラーメンという新しいジャンルのラーメンを食べたんですけど、これがなかなか美味かったんです。
そんなウォーキングコースのご紹介、最後までお読み頂ければ幸いです。
津田沼からのウォーキング、まずは駅近くのスポット巡り
まずこのウォーキングで学んだのは、津田沼という地名の由来。元々あった八津、久々田、鷺沼の下一文字ずつをとったとのことですけど、久々田は初めて聞いた地名でした。
かつては駅から少し離れたらいきなり農村風景でしたけど、今日では大都会の津田沼、まずは鷺沼城址公園を目指します。城が築かれた時代も廃城になった時代も不明ながら、比較的広い敷地内には盛り土があったりするのが城跡っぽいんです。
次の目的地は創建されたのが西暦810~824年の菊田神社。ここの見所とネットは狛犬で、顔は「あいーん」、右前足を上げているという変わったスタイルでした。
築350年と280年と、津田沼に建つ江戸時代の古民家巡り
次に向かった藤崎森林公園、ここにはかつて長生郡にあった名主の家屋である旧大沢家住宅があります。1664年に建築されたというから築350年ちょっと、1973年まで実際に使用されていたんだそう。釘などの金属を一切使わず楔で柱を止める工法で、柱は敷石の上に乗せて免震、腐った部分はカットして、下から同じサイズの柱を接ぐんだそうです。
そしてもう一つ、実籾本郷公園内の旧鴇田家住宅、こちらは築280年ほど。水琴窟があったりと、旧大沢家住宅とはまた一味違う実籾の名主の家で、これもまた見応えある古民家でした。
大日本帝国陸軍の演習地だった習志野、今日にも残る痕跡を巡る
お次は習志野の旧日本陸軍遺構巡り、まずはドイツ捕虜オーケストラの碑。ドイツと日本は、第一次世界大戦で青島を巡って戦ったんでした。日本に送られたドイツ軍捕虜は4,700人、習志野には1,000人近くが収容されていて、オーケストラを演奏したことの記念碑です。
「旧陸軍演習場内圍壁」という遺構は中国の家屋を模して作られた砲台のミニチュアで、演習用に作られたもの。周辺には昭和の鉄道連隊が作った演習線の跡もあり、こんな以降巡りのウォーキングもまた結構面白いものでした。
え?イタリアンラーメン?! 新たなカテゴリの料理を食べてみた
実籾駅近辺でのランチ、「豚骨イタリアンラーメン」は私の味覚の範囲外だったので、これは是非食べてみようかなと。 一番人気のカルボナーラを食べようか、いや、最もラーメンらしくなく、豚骨とマッチするとは想像できないジェノベーゼをチョイスです。
チャーシューの代わりに生ハム、そして緑色のスープは爽やかなバジルが香ってこれがラーメンとは思えん。でも、ラーメンもイタリアンも好きな私には、この味は十分にありだなと。
こんな近場でも、歴史にグルメにといろいろ学べることは多いんだなと。休日のウォーキングは楽しいものですね。