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【百年ニュース】1921(大正10)6月5日(日) 法政大学で新校舎の落成式挙行。木造3階建ての新校舎が現在の市ケ谷キャンパスに竣工した。後藤新平東京市長,横田秀雄大審院院長,大木遠吉法務大臣,中橋徳五郎文部大臣,若槻礼次郎憲政会副総裁ら出席。一方で明治大学は紛擾が続く。

法政大学で新校舎の落成式が挙行されました。現在の市ケ谷キャンパスに竣工した新校舎は木造3階建てでした。落成式には多くの有力者が出席しました。後藤新平東京市長、横田秀雄大審院院長、大木遠吉法務大臣、中橋徳五郎文部大臣、若槻礼次郎憲政会副総裁らが集まりました。一方で明治大学は紛擾が続く。

法政大学は1880(明治13)年4月に駿河台に開設された東京法学社・講法局(法律を講じると書いて)を源流としています。翌年東京法学校と改称し、1883(明治16)年には初代教頭に日本近代法の父、ギュスターヴ・ボアソナードが就任しました。1889(明治22)年には東京仏学校と合併し、和仏法律学校となりました。和仏法律学校の民法・租税法講師を務めたのが若槻礼次郎です。若槻は大蔵省の現役官僚で、主税局長など重要ポストを務める傍ら、和仏法律学校で教えていました。

1903(明治36)年に和仏法律学校は法政大学と改称しますが、若槻は引き続き同大学の顧問を務めるなど応援しています。100年前の新校舎落成式の当時、若槻は野党憲政会のNo.2、副総裁でしたが。落成式に出席したのはそのような事情からです。

一方明治大学では当時激しい学園紛争により、授業が空転する状況が続いていました。

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若槻礼次郎 (1)

若槻礼次郎 (2)

若槻礼次郎 (3)

若槻礼次郎 (4)


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