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【百年ニュース】1921(大正10)2月26日(土) シベリア出兵中の第11師団の師団長斎藤季治郎中将がウラジオストクで現職のまま客死。病死であった。享年53。後任候補には宇垣一成陸軍大学校長(陸士1期),白川義則陸軍士官学校長(1期), 武藤信義参謀本部総務部長(3期)が取り沙汰されるが,白川に決定された。

ウラジオストクで客死した第11師団(善通寺)師団長の斎藤季治郎中将は1月に流行性感冒(インフルエンザ)から肺炎を発症,現地の病院で静養中であったが,脚気を併発,のち心臓麻痺で死亡した。中国駐在武官を務めるなど中国通軍人であった。

シベリア出兵は,1918年に対ソビエト干渉戦争の東部戦線として始まった。日,米,英,カナダ,伊,仏さらには中華民国も出兵し,現地のロシア白軍と連携して赤軍と戦った。1920年4月に米国が撤兵。日本も撤兵方針だったが尼港事件で遅延。1922年ようやく完全撤兵。結局出兵は7年に渡った。

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斎藤季治郎

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