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【Voicy】コロナ禍のこどもの日、将来世代の利益と幸せについて考える。(2021.5.4放送)

こんにちは、吉塚康一です。ワタクシは会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。今日はVoicy代表緒方さんの呼び掛けで、コロナ緊急事態宣言下のゴールデンウィーク、たいへんなこの時期に、どのように過ごしているのか、どのように考えているのか、パーソナリティーそれぞれが発信していこう、ということで、いつもとは違うのですが、今回の放送を収録してみました。

ワタクシは子供が3人おりまして、上から小4男子9歳、小1女子7歳、年長女子5歳、ということになります。このゴールデンウィーク、ずっと自宅で過ごすというわけにも現実問題いきませんので、妻と二手にわかれまして、子供たちを都内の近所の公園に連れていったり、ファミレスに連れて行ったりしています。よく言わていますけれでも、このコロナ禍がはじまった昨年以来、家族、特に子供たちと一緒にすごす時間が増えまして、その点は非常に良かったと思います。

そして元気いっぱいに騒いでいる子供たちを見て、あらためて思うわけです。子供こそが自分自身、また私たち家族の、幸せに直結しているんだなと。子供が幸せになって、はじめて自分も幸せになれる。逆に言えば、子供・家族の幸せなしには、自分は幸せになれない、自分だけが幸せになることは出来ない、ということです。子供が生まれると価値観が変わるといいますが、私もそうでした。子供がもたらしてくれる幸せ、というのは大変大きなものがあります。子供の可能性の魅力、将来につながる希望、まるで自分自身の寿命が延びたように感じる、ということなんですね。お子さんをお持ちのリスナーの方はこの点、共感して頂けるんじゃないかと思います。昔からの人間の根源的な欲求、究極的な欲求として、不老不死、というものがありますが、間接的に子供が不死を提供してくれている、というふうに自分では解釈しています。究極の欲求を満たしてくれるのですから、それはやはり「幸せ」を感じるのは当たり前だと思います。

さて先月、3月27日のワタクシの放送「百年ニュース、毎日が百周年」でも取り上げたのですが、日本の出生率のピークは100年前、正確には101年前の大正9年になります。その年の普通出生率が36.2。つまり人口1000人あたりの36.2人が新たに誕生した、ということになります。最近では普通出生率ではなく、合計特殊出生率、すなわち15歳から49歳の女性がの年齢別出生率を合計した数値が使われまして、昨年9月には、2019年(令和元年)の数値が1.42から0.06ポイント低下して、1.36になった、というようなニュースがありました。今年の9月にも2020年、令和2年の合計特殊出生率の発表があるはずです。しかし単純な普通出生率に関しては、計算が簡単ですのですでに出ておりまして、これが7.0ということになります。100年前は1000人あがり、36人が生れていたのが、現在では7人ということです。100年前には年間36存在した幸せが、現在では7になってしまった。1/5以下に減ってしまった。子供がもたらす幸せを実感する身としては、そのように思えるわけです。

明日5月5日はこどもの日ですが、本日のニュースによれば、15歳未満の子供の数が、4月1日時点で前年より19万人少ない、1493万人になったということです。1982年からなんと40年連続の減少で、もちろん、過去最少の記録更新、ということになります。

少子化が進む原因は様々なものがあるのでしょう。一言では言えない複雑な要因があるのだと思います。しかし私の実体験からひとつだけ言いたいこと、言い切れることがあるとすれば、子供の絶対数の少ない社会は、幸せの絶対数の少ない社会だ、ということです。子供を産みにくい社会、子供を産みにくい国、というのは、自ら幸せを捨てている国だよな、と思うわけです。

このゴールデンウィーク、3人の子供たちと遊んでいると、しみじみ、子供たちよ、幸せになってくれ、と願わずにはいられません。この3人が成長したときに、たとえば今から20年後、2041年のニッポンは、子供を産みやすい、育てやすい国であることを願います。

シルバー民主主義、という言葉があります。高齢者は投票にもよく行き絶対数も多い、そのため高齢者優先の政治が行われる。高齢者に不利な政策を政府が実施するのは不可能になる、ということだと思います。一方で子供たちには選挙権は無い。もちろんこれから生まれてくる子供たちにも選挙権・発言権は無い。次世代の視点、次世代の利益、これを誰かが代弁しなくてもよいものなのでしょうか。

現在の日本は将来世代に大きな債務を背負わせています。子供や孫に返済させる借金を増やしています。将来世代が負担する債務のことを、フリーアクセスの共有地にしている、という話があります。その土地が、枯れようが、果てようが、後世のことは知らぬ存ぜぬだ、というのが今の日本の実態であり、これを背負う将来世代の声や利益は、現在の政治には反映されていないわけです。

100年前、大正10年の政治家、たとえば当時首相だった原敬、また元老だった山県有朋、彼らは「今がよければ、それで良し」という考え方はありませんでした。この二人に共通するのは、自分自身の実子、すなわちDNA上の子供はいなかったということです。それでも日本の将来世代を本気で心配し、日本の未来のために、命をかけて、自分が信じる道を進みました。その後昭和期に入ると戦争の暗い道に徐々に分け入るわけですが、それでもやはり「今が良ければそれで良し」「自分が良ければ子供や孫は関係ない」では決してありませんでした。むしろその逆で、未来の日本よ幸せであれ、という思いで、自らの命を捨てた人が大勢いたわけです。

これらの人たちが、現在の日本を見たらどう思うでしょうか。子供の生みにくい国、子供を育てにくい国、そして未来の子供や孫に発言権や投票権がないことをいいことに、莫大な借金を背負わせて、自分たちの利益を優先させるシルバー民主主義。

私のふるさと新潟は「米百俵」の精神、小林虎三郎のふるさとでもあります。コロナの緊急事態宣言でたいへんなゴールデンウィーク、たいへんな子供の日になりましたが、今もういちど、未来を担う子供たち、目の前にいる子供たちだけではなく、またこれから生まれてくる子供たち、といった将来世代について思いをはせながら、過ごす連休であって頂ければ、という思いで本日放送させて頂きました。

以上百年ニュース、毎日が100周年、吉塚康一でした。ごきげんよう。


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