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【百年ニュース】1921(大正10)7月8日(金) 幻の史上最高気温。この日イラクのバスラで58.8℃の史上最高気温が記録されたと長期間,日本でのみ信じられてきた。W.クレメンスの論文(1922)で報告報告された128.9°F(53.8℃)を,岡田武松が『気象学(改稿第二版)』(1934)に58.8℃と誤記したのが起源とされる。

幻の世界最高気温の日。この日イラクの都市バスラで、摂氏58.8℃の世界史上最高気温が記録された、とされました。この記録は不思議なことに長い間、日本でのみ信じられていました。戦後に至っても、1954年に東京堂出版から出た「気象の事典」、あるいは1967年の「気象年間」などに記載されています。ある一定の年齢以上の人は、このバスラの記録を授業で習った人もいるかも知れません。

しかし実際には1913年7月10日にアメリカ・カリフォルニア州デスバレーで記録された56.7℃が世界記録とされています。現在においてもWMO(世界気象機関)の公式世界記録はこちらのデスバレーのものです。

ではこのバスラの58.8℃という記録はどこからやってきたのでしょうか。東京都立大学の藤部文昭ふじべふみあき先生の調査によれば、これは著名な気象学者岡田武松の転記ミスが起源とされています。

1922年にクレメンスという気象学者が、イラクのバスラにおいて華氏128.9°Fを記録した、と論文で発表しています。これは摂氏に再計算すると53.8℃となります。これを岡田武松が1934年出版の『気象学』という著作に引用していますが、その際、本来は53.8℃だったものを58.8℃と誤記され、これがそのまま日本でのみ信じられ、戦後に到るまで修正されなかった、というのが真相のようです。

バスラの58.8℃の記録が誤りと認識され書物から消えていったのは70年代ですが、その経緯調査は2013年の藤部文昭先生(気象庁気象研究所)の論文が初めてだったようです。岡田武松が53.8℃と手書した原稿が不明瞭で、活版作業中に58.8℃に化けた可能性が高いと考えます。

やはり著名な岡田武松が華氏→摂氏の変換計算を間違うとは思えないので、文選工のミスと推測します。当時の新聞を読んでいると頻繁に誤植があり、書籍も版が重ならないと訂正がなされないケースがあり、そのまま時の流れのなかでミスであることが関係者のあいだでも忘れられ、その記載がそのまま世間で信じられたものと思われます。

岡田武松

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