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【百年ニュース】1921(大正10)3月27日(日) 東京朝日新聞に長女の被教育権に関する投書。日本の出生率のピークは1920(大正9)年。大家族のこの時代,長女はしばしば弟と妹の面倒をみることが期待され,自身が教育を受ける機会を奪われた。この投書では将来日本は教育重視のため少子化が進むと予測された。

鉄箒(投書欄)「国家の食言」

 近頃「長女の受教育権」なるものが叫ばれる。「産むときはいくらでも勝手に産んでおいて,子守をさせるために長女の受教育権を蹂躙するのは人道に反する」と。これは文政当局の子守児童根絶の宣伝であり,また教育界識者の主張でもある。

 私も長女の受教育権擁護には無論賛成である。ただしかし私はこの長女受教育権をあくまで押し進めるときには意外の絶壁に衝突せぬかと案ずるものである。意外の絶壁とは何であるか。「産児制限」すなわちこれである。

 国家はかつて「産めよ,増えよ」と宣伝した。そして人民はその宣伝にしたがって産み,かつ増えた。ところが宣伝はいまや「教育せよ」と変わった。なるほど国家から見たならば多く産んで,よく教育することは最も望ましい事であり,現代の国民がいかに難儀をしても次代の国民が優秀であることはより願わしいことではあろうが,多く産んでよく教育することは事実非常に困難のことであり,かつ長女の受教育権が至当の要求であると同時に両親の生存欲もまた強烈なる欲求であるから,これにおいてか国民は全く惑わざるを得ぬに至るではあるまいか。「多く産んで悪しく教育せんか,少なく産んでよく教育せんか」と。

 国家がかつて産めよ,増えよと宣伝した以上,長女の受教育権に対しては国家もまたその責任を分かたねばならぬはずである。しかるに今となって「産むのはお前らの勝手に産んだのだ」とはあまりにしらじらしい。しかし食言流行の世の中だから,証文もない国家の言責を問うことは不可能であろう。だから国民は今まで騙されたのだと諦めるよりほかはあるまいが,しかし二度とその手は食わぬだけの用心はするに相違ない。国民が多く産まんか,少なく産まんかを真剣に考えるとき,その第二の道を選ぶべきはむしろ明瞭に過ぎることではなかろうか。

 産児制限,増殖率低減,やがて衰亡の深淵を臨んだとき国家はどんな顔をするだろう

(枝村生投=枝村さんの投書)
1921(大正10)年3月27日 東京朝日新聞

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大正時代には子沢山の家庭が多く見られた



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