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【百年ニュース】1921(大正10)9月22日(木) 政治家の宮澤弘が広島県福山市で誕生。自治官僚から広島県知事に転じ,さらに参議院議員に。村山内閣では法務大臣となった。父はのちの衆議院議員の宮澤裕。宮澤三兄弟の次男。兄は第78代首相の宮澤喜一。弟は外交官の宮澤泰。長男は現衆議院議員の宮澤洋一。

政治家の宮澤弘が広島県福山市で誕生しました。宮澤弘は、広島県の有名な宮澤三兄弟の次男坊ということになります。2歳年上の長男は第78代の内閣総理大臣となります宮澤喜一、そして次男がこの宮澤弘、自治官僚から広島県知事、のち参議院議員となり、村山富市内閣では法務大臣をつとめました。そして2歳年下の弟になります三男は、外交官でドイツ大使も務めた宮澤泰になります。

この宮澤三兄弟、父の宮澤裕も衆議院議員ですが、この三兄弟が生まれた当時はまだ政治家ではありませんでした。父の宮澤裕は内務省に入りますが3年で辞めて実業界に入り、山下汽船を経由して当時は東洋製鋼という会社の社長を務めていました。宮澤裕の妻、三兄弟から見ると母になりますが、こちらが宮澤こと、旧姓は小川こと、と言いまして、有名な政治家であります小川平吉の次女になります。

100年前の今日すなわち宮澤弘が誕生したころは既に与党政友会の有力幹部のひとりとなっていました。1915(大正4)年から三年に渡り政友会の幹事長をつとめ、1920(大正9)年には原敬改造内閣に入閣し、国勢調査を担当する国勢院総裁に就任していました。昨年2020年の10月にも国勢調査がありましたが、これが100周年と宣伝されていたことを御記憶の方もいると思います。つまり第一回の国勢調査は、この宮澤三兄弟の祖父になります小川平吉の手によるものでした。

小川平吉の娘婿になる三兄弟の父、宮澤裕ですが、小川の勧めにより、1928(昭和3)年に広島三区から衆議院選挙に出馬し当選、ここから連続6回当選を果たしました。1940(昭和15)年には鉄道政務次官も務めています。戦後は公職追放となり、1952(昭和27)年には政界を引退し、すでに大蔵官僚として当時の池田勇人大蔵大臣の秘書官となり、前年のサンフランシスコ講和会議にも全権随員として参加していた長男の宮澤喜一に後を託しました。この広島における国政選挙の地盤は現在、三兄弟次男宮澤弘の長男であります宮澤洋一に受け継がれています。宮澤洋一は安倍晋三内閣で経済産業大臣をつとめておりました。

さて現在自民党の総裁選挙が戦われていますが、4人の候補者のひとりであります岸田文雄前外務大臣ですが、この岸田さんも祖父の代から広島の地盤を受け継いだ衆議院議員になります。祖父の名前は岸田正記といいまして、先程の三兄弟の父宮澤裕と同じ1928(昭和3)年から連続6回当選を果たしています。しかも宮澤裕は広島3区、この岸田正記は広島1区、同じ政友会ということで、仲が良かったのでしょう。岸田正記の長女、岸田玲子が、宮澤三兄弟の次男、100年前の今日生まれた宮澤弘の妻となっています。すなわち宮澤洋一前経済産業大臣の母ということです。

ということで岸田文雄前外務大臣と宮澤洋一前経済産業大臣はいとこの関係になります。また宮澤洋一議員は岸田派の幹部の一人ということになります。政治家の家系図を見ていくと非常に面白く、様々な繋がりを発見することが出来て大変面白いです。

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