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【Voicy】10年目で三井物産を辞めて起業を選択(2021.8.2放送)

こんにちは、吉塚康一です。ワタクシは会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。今日はVoicy編集部の特集でキャリアの転機に関する放送を募集するということでしたので、ワタクシの経験も何かの参考になるかと思いまして、いつもとは違うのですが、今回の放送を収録してみました。

私は1996年に新卒で三井物産に入社いたしました。入社の内定をもらいましたときに、憧れの総合商社ということで大変嬉しく、また誇りに思ったことを思い出します。のんびりと生活をしていました新潟から、上京しまして、当時船橋にありました三井物産の船橋寮、こちらに入って、毎日大手町の本社に通って、たいへんに忙しく仕事をするという生活になりました。東京での生活自体がはじめてでしたので、1年目にはたいへん興奮しておりまして、週末も遊びに忙しい、というような感じでした。船橋寮のイベントもたくさんありまして、今から思うと、かなり睡眠時間を削って、めまぐるしく生活していたんだと思います。仕事の面もたいへん充実していました。本当に世間知らずだったので、商売の基本をゼロから教えてもらった、ということで三井物産には大変感謝しています。三井物産は本当に素晴らしい会社です。

商社に入ったからには早く海外に出たいと、ほとんどの若手社員は思っているわけです。わたしもそうでした。業務の修行と書きまして、修業生という制度があるのですが、仕事はせずに1年間海外の大学に派遣されて語学を学ぶ、そしてさらに1年間現地の事務所で働く、という2年間の制度です。世界各国40名くらいでしょうか。2年目で修業生試験に合格しまして、160人いた同期のうちで3人だけでしたので、これも当時大変に誇りに思いました。ワタクシは中国を志望していましたので、中国修業生、ということになりますが、1998年の当時は今ほど中国の経済は注目されていなかったので、派遣されるのは3名。2人が上海、1人が北京、ということになりまて、私は北京。北京語言学院で1年間中国語を勉強、2年目は南京事務所でした。

その後2000年の夏に日本に帰ってくることになるのですが、そのときは一転して中国ブーム、ということで、中国語が出来るというのが非常に強い武器になりました。この中国語は現在でも私の唯一の特技といっていいのかなと思っています。その後も三井物産で一貫して中国に関するビジネスを担当することになりましたが、そのなかで同世代の中国人の知り合いと、いろいろ深く話をするという機会も積み重なってくるわけです。日本人の場合は、私が典型例でしょうけれども、自分の会社に非常に誇りと愛着がありまして、できれば素晴らしい会社に入社して、その内部でキャリアを積んで一生を終えたい、とういような発想になります。一方で中国人の、特に当時の若い世代、私と同世代ですので、今は中年の世代ですね、当時の若い世代、こちらは日本人とは対照的でして、優秀であればあるほど、大きな会社で一生を終えよう、とは思わない。どんなに小さくてもいいから、自分自身のビジネスを持ちたい、ビジネスをオウンしたい、という考えが強い、ということがわかってきました。

それらの同世代の中国人に影響されたんだと思いますが、私も少しずつ、小さくてもよいので自分の力だけで、ビジネスをやってみたい、と思うようになりました。また中国ブームのさなかで、中国語という武器、また中国ビジネスの最前線にい続けているというキャリア、これを考えれば、たとえ失敗しても、サラリーマンに復帰することは出来るだろう、という風に考えるようになりました。そして2005年、三井物産入社10年目、年齢で言えば33歳のときに、自分で株式会社キュリエを創業いたしました。そして現在こちらのキュリエは16年たちまして、決算期で言えば17期目に入っています。三井物産のキャリアよりも、キュリエでのキャリアのほうがずっと長くなってしまいました。紆余曲折はありますがお陰様で、基本的には順調に会社が成長しまして、昨年12月末決算での連結売上高が19億3,200万円、というところまで成長することが出来ました。

三井物産は本当に素晴らしい会社で、今でも恩義を感じています。三井物産を中途退社したひとたちのアルムナイ組織で、元物産会、というのがあって、私も時々顔をだすのですが、本当に皆さん優秀で、それぞれの道で大変活躍されています。弊社キュリエの社外取締役をお願いしている古川ひろのりさんは、同じ元物産会で、元ホリプロの取締役という経歴をお持ちの大先輩です。この三井物産のアルムナイ、卒業生ですね、私も含めて、そのように途中で外に飛び出した元社員が、それぞれの舞台で活躍する、これが三井物産への恩返しだ、と思っています。逆に言うと、外に飛び出して鳴かず飛ばず、これは親不孝だよなと。やっぱり辞めても三井物産の看板を背負って、あるいは看板を使わせてもらいながら、商売をやっているわけですから、恥ずかしくないようにしっかりやらなくてはいけない、そう思っています。

ということで今日は私自身のキャリアの転機についてお話をさせてもらいました。よろしければフォローをお願い致します。ではご機嫌よう。


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