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『思い出のマーラー』〜はじめに〜

 まず、「マーラーとはどのような作曲家か」といった「らしいこと」を簡単に説明するべきか迷ったが、やめることにした。なぜならマーラーをご存知の読者は嫌というほど思い知っているだろうし、そうでない人にはこれから徐々に自分なりの印象を構築していってほしいからだ。そしていつか彼の作品を聴いて、その瞬間抱く素直な感覚を大切にしてほしい。

 私が初めてマーラーを知ったのは大学一年生の夏だったが、一度曲を聴いただけではちんぷんかんぷんだった。何回か聴いてみても意味がわからない。そもそも、曲が長すぎて(八十分以上の曲ばかりなのである)、聴くだけでしんどい。後ほど語るように、「こんなヘンな曲、やりたくない」というのが率直な感想だった。それが今では、もう、ちょっと印象に残っているフレーズを脳内再生するだけで、ああ、もう、この切なさや幸福はマーラーでしか味わえない、震える、ドキドキ、ズシズシ、ううううーん、張り裂けそう、いや張り裂けるほど膨らむかと思えばポツンと消える、待って、まだこの気持ちの中にいさせてよ、ざんねん嵐が来てしまった、さあ次の光はどこ…?ほら、やっぱり、生きることは幸福、生きててよかった、生きててよかった…という、わけのわからない、得体の知れない感情が満ち満ちて溢れ出す。

 社会人になって何年か経った頃、前向きな夢を抱えて会社を自主退職したことがある。しかし、日々沸き起こってくる違和感が、段々と大きくなっていった。自分の本当にやりたいことがわからなくて、私は何をしているんだ、なんてダメ人間なんだ…と、いよいよ気持ちが沈みきってしまうかと思われたとき、ふっと私を救ってくれたのはオーケストラだった。

 楽器を持って吹こうとする瞬間に、呼吸が整うこと。

「ただここに座って、音を出す。ここに居場所がある」ということ。

 私は今ここで生きている、ということ。

 社会に出てから忘れてしまっていたそんな幸福の種を、取り戻したのだ。

「オーケストラは社会の縮図」というが、まさにそうだと思う。上手い人、下手な人、音が大きい人、小さい人、存在感のある人、こっそり隠れるように弾く人、ソロが好きな人、アンサンブルが得意な人。一つの団体にいろんな人が何十人、何百人と集まっている。じゃあ、あなたは?———上手い人。じゃあ、あなたより上手い人が現れたら?どうやって生きていく?その音を「あなたが出している意味」はある?…大学生時代はそんなことを考えて、自分の欠点ばかり気になって、正直オーケストラはしんどくなることも多かった。他人と自分の比較ばかりをして、いつも悩んでいた。

 おそらくオーケストラに全く馴染みのない人も、何かしら似たような悩みを抱えているのではないだろうか。いつまでたっても仕事ができるようにならない。自分よりも優秀な後輩が入ってきた。この仕事、私じゃなくても、誰だってできる、つまらないものなんじゃないか。自分がここで生きている意味はあるのだろうか。…

 単なる「金持ちの趣味」と思われがちなオーケストラは、実はたくさんの生きるヒントを教えてくれる。それは、音楽とは関係のない世界でも応用できるものばかりだ。

 大学の四年間、毎日毎日オーケストラの練習に明け暮れて、気が付けば自分の中にきちんとストックされていた愛しいヒントたち。そして、奇遇にもマーラーを演奏する機会が多かった私は、その多くのヒントをマーラーから学んだように思う。記憶を辿ろうとして、自分にとって初経験であったマーラーのある交響曲を再生したら、ここにもそこにも浮かび上がる情景、思い出、教訓。今、それらを一つひとつ掘り起こしながら、ぼそぼそ歌うように語っていきたい。


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