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『思い出のマーラー』交響曲第7番⑦好きな言葉に出会うこと

 同じ動きをするパートを調べる作業と並行して、私はテンポや強弱を表すドイツ語の指示の和訳も行った。
 マーラーの譜面には、今まで見たこともないような指示が度々出てくる。
 例えば、一楽章の十九小節目。

Etwas weniger langsam, aber immer sehr gemessen

 直訳してみると、「少しばかり遅くして、しかし常にとても落ち着いて」。
 その後も次のような指示が続々と登場する。

Nicht schleppen
「引きずらないで」

Von hier an(unmerklich)drangend
「ここからわずかに前のめりに」

 指揮者である野上先生の話によると、マーラーは人間不信であったがために奏者のことも信用しておらず、事細かに音量やテンポを指定しているらしい。
 パート譜を開き、辞書を引きながら意味を調べていく。かなり時間がかかり、「四楽章がタチェット(一音も出番がないこと)でよかった」と心から思った。
 同じ動きをしているパートと、ドイツ語の和訳でかなり書き込みが多くなった。手汗を吸い込んで少ししっとりとした譜面を鞄にしまい、意気揚々と図書館を飛び出す。十一月の澄んだ冷気が頬に心地よかった。

 ある日のFOのことである。
 四楽章に入り、私はタチェットのため楽器を置いた。しかし、音がないからといって、ぼーっとしているのも気まずい。それに、私はこの四楽章が一番好きだった。全楽章のうち、一番わかりやすくて、綺麗だと思う。聴いている側の意見を求められることもあるので、スコアを見ながら合奏を聴くことにした。
 コンマスが他の弦楽器を誘いながら、短いソロを歌い出す。ヴィオラの装飾音符がうまく効いて、幻想的でありながら、どこか懐かしい景色が広がる。緑色の、広い草原のイメージ。ギターが四分音符で、ハープは八分音符でポロンポロンと刻む。そこにかわいらしく戯れる、クラリネットとファゴット。やがてホルンの優しい音色がソロを奏でる。
 なんて、なんて美しいのだろう!
 マーラーって、わけがわからないけど、ときどき凄く綺麗だ。

 曲は順調に進んでいった。野上先生も止める気配がない。
 ひょっとしたら最後まで通すのかもしれない。そう思いながら、スコアのページをめくっていく。
 四楽章は他の楽章に比べて短く、あっという間に最後のページまできてしまった。
 ファゴット1stの「タッタッタラッタラッタラッタラッ」という不思議な、短いソロが二回とも終わると、クラリネットがピアニッシモでドとレのトリルを吹き始める。
 ドレドレドレドレドレ…
 その間に、ホルンやフルートが短くさりげなく歌う。ギターのアルペジオが鳴ると、クラリネットのトリルはクレッシェンドし、一度半音下がってからまた上がり、柔らかなヘ長調の和音で曲は静かに終わる。
 ゾクゾクッとする。こんな終わり方、一体どうやったら思いつくんだろう。マーラーって、天才なのかもしれない。
 うっとりしていると野上先生はフッと呼吸を整え、四拍子を振り始めた。
 えっ?!と思う間に、ティンパニが慌てたように
デンデデデンデンデンデデデンデン
ドゥレレレレレドゥレレレレレドゥレレレレレドゥレレレレレ
 と打ち鳴らす。五楽章に入った。
まずい、と思って急いで楽器を持とうとしたところで、野上先生が
「なあんてね。はい、じゃあ四楽章返そうか」
 と言った。冷や汗をかいた。
 私は再びスコアを開き、四楽章最後の小節を見つめた。そこに、見慣れない文字があった。

morendo

 これは、どういう意味だろう?

 練習が終わると、帰りの電車の中で「morendo」の意味を調べた。
「死に絶えるように」。
 まさか、あんな綺麗に終わるのに、そんな恐ろしい意味だったのか。
 へえ、と思いながら、四楽章の音源を聴き始めた。セクションリーダーのコウタさんがおすすめしていた、ベルティーニとケルン放送交響楽団の録音である。
 やっぱり、美しい。初めから、終わりまで。
 やがて、クラリネットのトリルの箇所に入った。
 終わる。死に絶えるように…。
 あまりの美しさに、思わず目を瞑る。
 そして、数秒後。
デンデデデンデンデンデデデンデン
ドゥレレレレレドゥレレレレレドゥレレレレレドゥレレレレレ…
 …そうか!
 一度、四楽章の最後で死んだから、この五楽章の勢いがより一層生きてくるんだ!
 思わずニヤけてしまった。どんどんこの曲を好きになってしまいそうだ。

「生きるために、死ぬ」
 この言葉に、ちょうど一年後、出会うことになる。

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