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<民主主義という幽霊3>


第一次大戦後の革命により、オーストリア・ハプスブルグ帝国とドイツ帝国が崩壊し、いずれも共和制国家に移行していきました。
また、1917年にロシア革命が起こる背景としては、「
民主主義という幽霊2」に記載した下地が存在しました。
貴族や富農(クラーク)に虐げられている庶民に同情した中流以上の階級者が、自身の安寧な生活を放棄してでも社会改革を行う、という信念による行動です。別の見方をすれば、このままの不平等極まりない体制が続くはずはない、というものと、王族周辺に群がる権力の腐敗が看過できない状態にまで追い込まれたとも言えます。
ロシア革命については様々な文献とネット情報があふれていますので、詳しくはそちらに委ねますが、レーニンがソビエトロシアにボリシェビキ体制を確立するまでには、様々な国籍の人間が関わり、支援を行なっていました。
例を挙げると、帝政ロシアに虐げられていたフィンランド革命党のシリヤクスや憲法党のカストレン、日本人の明石元二郎もレーニンを背後で支援していました。明石に関しては、主として日露戦争の後方撹乱という重大任務を参謀本部を経由して行いましたが、落合先生のご著書で明らかなように、日本の伏見宮治仁王を祖とするハプスブルグ大公の実働部隊たる「大東社」の工作員として行動していました。明石元二郎は死後、男爵を贈られているようなのでお決まりのルートに入ったと考えています。
そして明石がレーニンに会い、工作をした場所はスイスのジュネーブですが、その後レーニンがスイスからロシアに戻る際に手引きをしたのがドイツの参謀本部であることはあまり知られていません。

ボリシェビキ自身が認めているものとして、ロシア革命はフランス革命をそのまま踏襲したものでした。
階級闘争問題において、ロシア ボリシェビキはフランスの革命家と同じコースを辿り、両国とも最初に被害を被ったのは、君主政体であり貴族階級、そしてその次にブルジョアジーという流れですが、やはりもっとも多くの犠牲者がでたのは一般庶民からであることは言うまでもありません。

しかしながら、この封建制の廃止によって、商業主義の支配を作り出したことも事実であり、更にその商業主義の末期症状として、現在の企業の道徳性の欠如が世界中に様々な歪みと問題を引き起こすに至っているのです。
産業革命により、商工業と科学技術の発展を促進させるために封建体制を崩した、と言う見方もありますが本稿では述べません。

本来、政治と経済は分けて論じられるべきものですが、「民主主義」という、「公」を省みない一般大衆が、結果的に自己利益の追求にのみ邁進し、一般大衆からでてきた政治家、官僚が、同様に自己利益追求と保身、または虚栄に執着したことにより、経済が政治を飲み込んでしまったのが、現在の西側諸国を中心とした国々の実情ではないでしょうか。

かつて外交とは爵位のある貴族しか行えなかったのは、私的利益追及ではなく「公」の利益中心に思考し、行動する必要があったからであります。
「公家」とはそのような意味合いを持たされていると考えます。
また、封建社会では当然、政治は然るべき階層が行なっていました。
各国の民主化以降、言い換えれば自由経済導入以降の経済成長に比例して、人口が急激に増加していきました。そのことにより必然的に増える「私」の利益にのみ執着する階層が、経済界、政治、行政、また司法に参入していき、「公」である場所に「私」を持ち込んでしまい、それを日本においては在日米軍や近隣諸国から指示を受けたものが、肩書きと報酬と引き換えに実行している現状があります。

政治においては、いわゆる「衆愚政治」と呼ばれるもので、以前「[2] 戦後日本は「米軍幕府」の偽国体制である」にて、「ギリシャの哲学者プラトンは民主主義を『国家が堕落した形態、言い換えれば大衆の消費的欲望が支配する無秩序の政治』と考えていた」と書きましたが、このように民主主義の結末は二千年以上も前に結論がでていたわけです。
それにも関わらず、各国が民主主義を掲げて国家運営してきたことには理由があって、現実的には一般人が考えるような「民主主義」なるものは存在しなかった。というのが実態だったと言えます。
結局のところ、世論形成、集団無意識の醸成を巧みに駆使したものが、経済や政治を動かしていき、「民主主義という幽霊」に支配されているのです。

1848年に出版された「共産党宣言」の冒頭は以下のように始まります。
「ヨーロッパには幽霊が出ます。共産主義という幽霊が。古きヨーロッパのすべての権力が、この幽霊を祓うため、神聖な同盟に加わっています」

カールマルクスは、「労働階級の解放は労働階級自身の手で達成されなければならない」と自ら宣言していましたが、ジュネーブで開催された第一インターナショナル第一回大会で、パリから参加した本当の労働者が、「肉体労働者ではない人たちによって地位が侵されている」と抗議する一幕がありました。
この労働者の大会の大半を、エコノミスト、ジャーナリスト、弁護士、雇用主らによって占められていたことは、現代に生きる我々も教訓としなければいけませんし、そもそもマルクス自身が、ヨーロッパでは名門の家柄に相当する人物ですから、階級闘争を掲げる「共産主義」なるものもマルクスが言う通り、最初から幽霊だったわけです。

幽霊たる「共産主義」の代名詞とされる「マルクス・レーニン主義」のマルクスとはいかなる家柄の人物だったのか、以下に箇条書きいたします。

・マルクス家=モルデカイ家は東欧からドイツに入ったラビ(ユダヤ教指導者)の家系。
・モルデカイは旧約聖書の「エステル記」に登場するベニヤミン人。この一族からは欧州の某大手電機企業のオーナーも存在するとされる。
・妻のイェニー・フォン・ヴェストファーレンはヴェストファーレン公国の貴族で、こちらの家系の中には、後にヒトラー政府の閣僚になった者もいる。
・現在のロスチャイルド家の礎を築いたネイサン・メイアー・ロスチャイルドと結婚したハンナ・コーエンとマルクスの祖母ナネッテ・コーエンは従姉妹関係にあたる。
・コーエン家は旧約聖書のレビ家につながる大変な名門。

続く

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