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子供(小学生)の教育と学校

朝、妻から息子(小3)が「学校に行きたくない。」と言っているから話して!と電話。

話してみる。
土日、(満足に)遊べなかったから学校行きたくない。(下の子が風邪をひいていて、妻も基本看病だし本人も調子が悪かったようで遊んで(相手して)あげられていない)小3になって、1日5時限とかあって、学童で遊ぶ時間も減っている。火曜と水曜と金曜は習い事で遊ぶ時間がもっとない。故に今週は5日間も頑張ったのに、大切な土日の時間を有意義に使えなかったから、今日は休みたい。思う存分遊びたいと。

今日の東京はどうやら雨。外には出られない。でも、ゲームをやりたい、とかじゃなくて、レゴでもなんでもいいから、とにかく遊びたい。じゃないと、次の5日間を頑張れない。と。

今の僕は「いまの学校教育って意味あるの?」と本気で思ってしまっているので、じゃぁ、いいよ休んで。と思う。そりゃ読み書き計算はできて欲しい。というより、小学校の間は「机に向かって何かに取り組む」+「団体行動で理不尽に強制・強要されること」に慣れて欲しい。僕の気分的には将来に向けたストレス対策(笑) これそのものがストレスだから心配ではあるけれど、僕も乗り越えたし・・・まだまだ日本はそれに耐えないといけない国と社会だから、と思ってしまう。忍耐というか我慢というか。

結局、小学校で学ぶことってなんだろう。

僕は、型にはめられて生きてきて、疑いなく学校にいった。行くものだと習ったし、行きたくない、ってのは通じなかった。行きたくないっていったら、殴られてでも追い出されたし、連行された。最後は勉強して偉くなるんだ!くらいに言われてた(笑)

僕は、学校でも家でも「外」で遊びまくってた。たくさん喧嘩もしたし、公園や学校の裏山で木に登ったり、廃材集めて基地作ったり、チャンバラしたり、戦争ごっこしたり、花火したり、ボールを思いっきり蹴りまくって隣の家の人に怒られたり、まぁ、とにかくよう遊んだ。落ちているものは全ておもちゃだった。

いまの都内の公園は花火ダメ、ボールダメ、騒ぐのダメ、って、なんのスペースだよ、それ。って。木も簡単に登れないように下枝は丁寧に払われている。やぶにもしっかりと柵があって、入っちゃダメ。って。子供はどこで遊べばいいんや。こんな言われたら、公園に集まってゲームするしかないよね(笑)。

42歳になって、いろんなことを見て、親になって、僕がやらされてたように、子供にやらせたい、とは全く思わない。でも、やらされてきたこと自体には、親に心から感謝している。今の僕は紛れもなくその上にある。公文、英語、バイオリン、学校、いやいやだったけど、全部いまの身になってる。

子供には判断できないから、ある程度はやらせた方がいいのでは?とも思う。けど・・・。超難しい。

今の自分は型にはめられたから、型から出られたのか?

はめられなかったらどうなっていたのか?そもそも俺は型から外れているのか?想定の範囲内ではないか?
守破離と言う言葉があるが、守ったから破れて、離れられるのか?守らなければそもそも破るものもないのでは?とも思える。

無限ループ

実際問題、生きる上で学んで、身につけていって欲しいことは、

 1: 自然の摂理(思考の根源となる絶対的な哲学)
 2: 深く考えること(考え抜くこと)
 3: 創造すること(自分や仲間で創り出す力)
 4: 体の動かし方(強くあること)
 5: 友達と遊ぶこと(コミュニケーション)

壱岐島(離島?)には全部学べる素材がある。
もちろん東京にもあるだろうけど、1 を体感できる場所 は圧倒的に少ない。小学生の2拠点生活ができないか、本気で考えてみよう。半年ずつってのは割と簡単そう。でも、もう少し短いスパンでもいい気がする。子供はどう思うんだろうか。友達は2校分になるけど、それはいいのか悪いのか(笑)

なんか僕の移動にあわせての動きが面白い気がする。
小学校の制度ってどんなものなのか、調べてみよう。

面白く生きていって欲しいから。
親としてできることをなるべくしていきたいな。

#壱岐島暮らし #島暮らし #壱岐 #壱岐島  #小学生の2拠点生活


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