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自分の価値観を持つこと。自分の価値観を他人に押し付けないこと。

これは今さっき起こった出来事である。

とある仕事でアーティストさん2人とコラボするコーヒー店さんの店長さんと打ち合わせを行った後、一人友達と合流し僕を合わせた4人でご飯に行った。

ここで簡単にメンバーの説明しておく。
3人はみな大学を卒業しているが社会人ではなく、アーティスト活動やグラレコといったクリエイティブな活動をしている2人と、就職活動をせずアルバイトをしている合流してきた友達である。
元々、僕がnoteで書いているような社会に対して疑問を持ち、「限られた人生を自由に好きなことをして生きる」思想を実践するような少し変わった人たちであった。


ごはんを食べながら、私の就活の話になり、無事就職活動を終えたという報告をした。

お疲れさまでした。という言葉を皮切りに、そこから私の社会人のキャリアプランについて3人が話すようになった(今考えると意味が分からないが)。

最初はアーティストの方が社会人を半年経験したこともあって、その経験談を聞き、「(私が)どっち(就職して社会人を続けるかやめてフリーランスになるか)のキャリアに進むか楽しみやね~」なんて話をしていた。

そこから徐々に盛り上がっていき、社会人になる私に向けて社会人への偏見を言われた。


「(ニンジンをお金と見立てて)会社員はニンジンを口の前にぶら下げられて走る馬のようだ」

「お金よりも好きなことをして働くいことが良い」

「会社に属することは労働力として搾取されている」

「スーツを着て働くいことは考えられない」


頭にきた。


確かにいまの日本には、伝統という名の時代遅れな制度や風潮というものが存在する。しかし、私自身そう思いながら就活を続け、そのような風潮が一切ない素晴らしい企業と出会い、就職を決断した。そのような企業も実際に存在するのである(実際働いてみないとわからないが)。

私がイラっとしていることは、彼らが表面的なごく一部を切り取って都合のいいように解釈し出来上がった価値観を、社会人である私に押し付けている点である。

彼らが無視しているのは、やりたいことをやるために就職して社会で活躍している人たちだ。社会人になって多くの人が大変な思いをしながら、疲弊している姿を見ているからそのような偏見が生まれているのかもしれない。しかし、将来のビジョンを持っていま一生懸命仕事をしている人がいることも私は知っている。スーツに関しても彼らは否定的だが、私は賛成である。服に興味を持っていない私にとっては、朝に余分な選択をする手間が省けほかのことに時間を使うことができるからである。

私は、彼らのそのような考え方がおかしいと言うつもりはない。考えは個人の自由であり価値観であるからだ。しかし、その価値観を他人に押し付けることは絶対に間違っている。

大学3年の夏から就活をはじめ、大学を卒業したら就職し社会人になる、といった今まで残っている伝統的な風潮は、社会からの押し付けであり、彼らはそれが嫌で自由になろうといまに至っている。そんな彼らが、私に社会の押し付けのようなことをしているのだ。全く彼らが感じたことと同じことを感じた。


社会のレールを外れ「自分が好きなように生きる」ことを選択した彼らにとって、自分たちが現在やっていることは正しいと言い聞かせているようにも聞こえる価値観の押し付け。人を自分の自慰〇為に扱う人はたとえ友人であっても嫌いだ。


私は今日も変わらず自分と向き合い、自分の価値観を大切に生きていく。



それでは今日も良い1日を。

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