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「文才」とは何か

僕は学生の頃からずっと、映画監督に憧れていました。
自分の映画をつくりたい! と思っていました。

とはいえ、経済学部の学生でしたので、本格的に映画づくりの勉強をするなら、そっち系の専門学校などに入らなくてはなりません。
当時、僕がもっともっと本気なら、学業そっちのけでアルバイトをしまくってお金を貯め、大学をやめてでも専門学校に入り直すこともできたのだろうと、いまでは思いますが、あの頃の僕にはそこまでの行動力はありませんでした。

そこで、映画を目指す「はじめの一歩」として、まずは脚本の勉強をしようと思いつき、そんなにお金をかけずに学ぶことのできる、脚本の通信教育を受けることにしました。

これもいま思えば、費用相応の勉強しかできませんでしたが、それでも、脚本の基礎は習得できたと思います。

大学を卒業した後は、テレビの制作会社に就職をしました。
これも実に安易な考えでして、「テレビの世界で頑張っていれば、(同じ映像系である)映画業界にいずれ転身できるだろう」と思ってのものでした。
実際は、そう簡単なものではなかったのですけどね…。本当に安易だったと、恥ずかしい限りです。

ですが、テレビ業界に入って良かったのは、放送作家さんに僕の文才を見抜いてもらったことです。
「AD(アシスタントディレクター)」をやっていた僕ですが、放送作家さんに誘われて、そちらの仕事をするようになっていきました。

並行して、やはり映画の道を諦めきれず、青山にあったシナリオセンターに通うようになります。
だから! 映画をやりたいなら、お金貯めて映画関連の専門学校に行けばいいのに! どうして脚本なのよ! といまでは思いますが(笑)。

そのシナリオセンターの教室に貼ってあった、一枚のチラシ。
それは、テレビの制作会社による「脚本募集」のお知らせでした。

シナリオセンターで学びつつ、思いつきで書いてみた脚本を、軽い気持ちで僕はその制作会社に送付してみました。

すると、すぐに制作会社からお呼びかけをいただきました。

行ってみると、部屋にはプロデューサーさんやディレクターさんたちがズラリといらっしゃいました。
そして、そこで言ってもらったのは「君は天才だ」。

天才。

実は、学生の頃から、自分でも自分のことを、そう思っていました。
何の根拠もありません。
何らかの大きな賞を取ったわけでもありません。
誰かに作品を褒められたということもありません。
ですが、自分は天才だと信じて疑わなかったのです。

人様に「天才」と評価されたのは、初めてのことでした。
シンプルに、嬉しかったです。

その後、天才の割にはさほど芽は出ず、脚本家になることはなく、放送作家としても生活は尻すぼみになっていったので、脚本(というか映画)の次に、学生時代から興味のあったコピーライターの養成講座に通うようになりました。

そうして、現在のコピーライター・木村吉貴がある、というわけです。

なんだかんだで、コピーライター歴も20年を超えました。
この間、コピーの賞をいくつかいただきましたし、複数のクライアントから「(コピーライターとして)天才」と称してもいただきました。

40歳になった頃には、ひょんなことから仲間たちと映画をつくることになり、昔からの夢であった脚本家としてもデビューすることができました。
それらの作品は海外で高い評価をいただき、映画賞もたくさん獲得でき、僕は脚本家としても「天才」と呼ばれるようになりました。

ここまで自分のことを天才、天才と書いていると、読者の皆さまには、ただの自慢バカのように思われてしまうでしょう。
違うんです。
僕が今回お伝えしたいのは、そんな自慢話ではありません。

小学生の頃に受けた知能指数テストでは、どうやら、とんでもない数値を叩き出したようです。
子どもだった僕はおぼろげにしか覚えていませんが、担任の先生が興奮して我が家までやって来て、母親に話をしていました。
母親からは、「他の子に言っちゃダメだよ」と釘を刺されたことも覚えています。
いまでいう「ギフテッド」だったのでしょう。

でも、残念ながら僕は努力ができない子でした。
もうちょっと詳しく書くと、「好きなことしか努力ができない子」だったのです。

野球は大好きだったので、よく練習をしました。大した選手にはなれませんでしたが。
勉強は全体的に嫌いでしたので、ろくにやりませんでした。

そして、ここからがようやく、今回のnoteの本題です。

小学一年生の頃、叔母さんに買ってもらった漫画「キン肉マン」の単行本。
これがあまりに面白くて、僕は漫画が大好きになりました。
なけなしのお小遣いで買った漫画本を、僕は繰り返し何度も何度も読みました。
大人になった今でも変わらないのですが、トイレにも必ず漫画を持ち込みました。
漫画に触れない日は、一日たりとも無い、といっても大袈裟ではありません。

現代でもそうかもしれませんが、親は、漫画に夢中になる子どもを良くは思いません。
僕の親もそうで、「漫画ばかり読むな」と良く叱られたものです。

ですが、漫画には、文章が付いています。
漫画のキャラクターが話すセリフは、すべて文章です。

童話や小説の方が、文章としては高度なのでしょうが、それでも、文章であることに変わりはありません。
「漫画に触れない日は一日たりとも無い」ということは、「文章に触れない日は一日たりとも無い」ということなわけです。

僕は、知らず知らずのうちに、毎日、文章の勉強をしていたことになります。

勉強嫌いの僕でしたので、他の教科はさっぱりでしたが、国語の成績だけは飛び抜けて良かったです。
高校時代に受けた全国模試では、国語だけ、全国トップ10に何度も入りました。
国語だけです。
ここがポイントです。
あくまでも、国語だけです。

僕には、たまたま文才がありました。
ですが、ここまでに書かせていただいたような、いくつもの偶然が重ならなければ、僕の文才が花ひらくことはなったでしょう。

野球が大好きで、熱心に野球に打ち込んだものの、大した選手にはなれなかったと前述しました。
これはもう、明確に、僕に野球の才能が無かったというだけのことです。

では仮に、僕が勉強全般が大好きだったとします。
そしたら、(無理無理に頑張るのではなく、自然と)たくさん勉強をして、高学歴を手にして、大企業に勤務していたかもしれません。
理系の才能が実はあって、エンジニアやら宇宙飛行士やらになっていた可能性だってあります。

「文才」とは、偶発的に伸びていく才能だと、僕は思います。

いまの世の中は、SNSやブログ、メールで、老若男女、誰もが自分の文章を書き、発信できます。
まあ、個々人で楽しんだり満足できるなら、それで良いとも思うのですが、プロの物書きからすると「これでは相手に伝わらないのでは」という文章が、あまりにも多いです。

文才が欲しい。
そう思っていらっしゃる方も、このご時世には少なくないかもしれません。

文才がご自身にあるか無いかは、実際にはなかなかわからないものです。
僕のように、根拠も、他人の評価も無い時点から「自分は天才だ」と思い込むのは、アホのようでいて、才能を開花させるためには、けっこうこの思い込みというのも大切だと思ったりもします。

無理な努力は続きません。
好きでもないのに、文才欲しさにたくさん読書をしたり、いっぱい文章を書くことは、僕はおすすめしません。

普通に暮らしながら、気が向いた時に、たとえばnoteを書いてみる。
すると、あるnoteにやたらと「スキ」が付いた。
これは、文才がある証拠です。

他の才能にも言えることだと思いますが、文才はひっそりと隠れています。
「自分には文才が無い」と決めつけてはいけません。

いつどこで開花するかわからない。
それが文才だと、僕は思います。

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